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北海道での弔事:二日目

 もろもろあって5:30に起床。昨夜は遠方の親族など15人ほどが神殿(のような場所)に宿泊したため寝具をレンタルしており、その返却時間が7時だったのでこのような時間に起床となった。配達されてきた仕出しの朝食は非常においしく、母は紅鮭に故郷の味を見いだして喜んでいた。

 朝食が終わった時点で8時。葬儀は10時からなので少し時間がある。いまだ寝ぼけ眼の私は、こっそりと二階の祖父と祖母の部屋へ行き、仮眠をとった。
 いまやアラームとしてしか機能していない携帯電話のアラームで目覚め、喪服に着替えて化粧をする。母の荷物は相変わらず行方不明なので、私の化粧道具を貸す。
「なんかいっぱいアイシャドウに色あるから、よくわかんないわ」
「じゃあ、私が塗ったげるよ」
 母のまぶたを引っ張りながら、アイシャドウやチークを塗ってやる。56歳には見えない母だが、やはり皮膚のたるみは年齢相応だなあと思う。いつまでも母は若くはないと、時間の経過を感じた。

 10時、葬儀の開始。段取りは昨夜のものとほぼ同一。儀式中、参列者は脚の悪い高齢者を覗き、基本的に座布団に正座である。続々と脚を崩す従姉妹・従兄弟や伯母たちを尻目に、私と母だけが正座を維持できたのは少し誇らしかった。

 11時半、出棺。神殿から火葬場までは小樽の伯父夫婦の車に乗せてもらう。道中で、伯父の幼い頃の話を聞く。寡黙な仏頂面で根っからの商売人の伯父。私はこの伯父が苦手だったのだが、少年時代の苦労話を聞いて伯父の人間的な側面を知ることとなった。

 火葬場に到着。火葬が終るまでは弁当などを食べて待つことになる。ひさしぶりに全員が勢揃いした青山の従兄弟・従姉妹と、気楽な会話に興じる。
 気付けば、携帯の電波状況が回復していた。やはり銀山では山で遮られていたようだ。約24時間分のメールが続々と受信されるも、特に緊急を要する内容も無かったので安堵した。
 さきほどの従兄弟・従姉妹たちと、ワンカップ大関を使った恐ろしいゲームが始まろうとした瞬間に、火葬が終了した旨を告げられた。ふざけた空気が一瞬で引き締まる。

 親族は遺骨を拾わねばならない。だが、母は炉のある部屋の前で立ちつくしてしまった。母は、棺が炉に入る瞬間も見届けられなかったのだ。涙をにじませた母は弱々しく言う。
「母さん、こういうリアルなのはだめなんだ」
「じゃあ、私が母さんの分も拾ってくるよ」
「そうしてちょうだい、あんたが代わりならおばあちゃんも許してくれるわ」
 亡くなった祖母と私の母は直接の血縁関係にはない。だが、過ごした時間は長かったので、母はショックを受けていた。母の悲しみの涙を見るのはひさしぶりだった。20年前、母の離婚が成立して家を出て行ったとき以来かもしれない。それに引き換え、父はなにかとよく涙を流していた。小学生の私を叱りながら流される父の涙が一番印象に残っている。

 閑話休題、ここ数年、私の周辺で親族の葬儀が立て続けに行われている。伯父、父方の祖母、義父、そしてこのたびの母方の祖母。それらすべてで遺骨を拾っている私は、遺骨への感覚が麻痺しているのかもしれない。率先して大きな骨を選び、母の分とばかりに量も多めに拾った。
 拾骨は地方は宗教・宗派や地方でやり方が異なる。仏式ではおおむね木と竹でできた素材違いの箸を使い、二人の人間が同じ遺骨を拾っていた。いわゆる箸渡しとして、通常の食事時などには禁じられている行為だ。今回は白木の箸で一人ずつ拾う。拾った骨は懐紙に乗せて、直接白木の木箱に納めた。
 頭蓋骨を最後にするように火葬場職員に言われたが、これが一般的なのか骨壺を使う仏式特有のものなのかはわからない。喉仏のみ小さな骨壺にわける風習は仏式特有だと思われる。

 拾骨終了後、一同は神殿に戻って近親者のみで十日祭を行う。仏式でいう初七日法要に相当する儀式で、本来は十日後に行うものだが繰り上げて営まれた。
 十日祭が終わり、葬儀に関する一連の儀式が終った。祭主・祭員や遠方の親族は帰り支度をして去って行く。皆が引き上げた後、私は神殿にある葬儀用祭壇の分解や掃除を手伝った。ちょうど、母の無くなった荷物が出て来たと航空会社から連絡も入り、いろいろな緊張感がほぐれていく。母のスーツケースは、明日には銀山に届くようだ。

 夕方、何十年も付き合いのある近所のH家から夕食の招待を受けた。祖父、母、真駒内の伯母、祖母の妹たち、私でお邪魔する。H家には母の幼なじみの三姉妹と弟がおり、家族同然に迎えてくれた。山間部だというのに、生きた甘エビ、イカの刺身、アンコウのキモ、アラ汁といった海の幸が出て来たり、大きな肉厚の椎茸や新鮮なアスパラなど北の大地ならではの山の幸を堪能した。デザートはご当地のサクランボ。そうか、私が少女時代にサクランボ好きだったのは、余市のサクランボの影響だったんだ。

 大いに盛り上がった後、祖父の家へ帰宅。母のたっての願いにより、真駒内の伯母も宿泊してくれることになった。母、私、真駒内の伯母の順で川の字に布団を敷いた。
 真駒内の伯母と私の母はなんと18歳も年齢が離れている。そのせいもあって、姉妹というよりはまるで母娘のような関係の二人だ。そうなると私と真駒内の伯母も、伯母と姪というよりも、祖母と孫のような雰囲気になる。
 女三人で誰ともなく思い出話が始まる。私はもっぱら聞き役なのだが、今回死んだ祖母の話、何十年も前に祖父と死別した実の祖母の話、母と伯母の少女時代の話。ややこしい家系なのだが、聞いてみるとなかなかに興味深い。
 話し疲れるまで話し込んで、そのまま就寝。

北海道での弔事:一日目

 なんだかんだと余裕をカマしていたら、結局徹夜になってしまった。ダラダラと旅の支度をする。MacBookに現在進行中の案件のデータをコピーしたり、すべてのPCメールが携帯に転送されるように設定したり。本当に、このMacBookのおかげで気楽に旅行にいけるようになった。

 11時、羽田空港に到着。母親と合流してチェックイン。空港で買ったお弁当を食べながら、搭乗ロビーで母子の会話をしてみる。
 なんだか母の荷物が軽装だなと思いきや、どうやらパリでトランジットの際にスーツケースが行方不明になったらしい。いわゆるlost luggageというやつである。見つかり次第、北海道に送ってもらう予定だが着替えなどが無くて困りそうだ。
「いいわよ、死んだ母ちゃんの服や下着を借りればいいのよ」
 まあね、私もロンドンで母の靴下借りたりしてるしね。

 飛行機が離陸、そして千歳に着陸。いつもの札幌出張なら快速エアポートで札幌市内に出るのだが、今回の行き先は銀山。函館本線で小樽から6駅先にある(ところで、北海道人には一般的に“銀山”と言って通じるものだろうか? “余市”では通じるみたいだけど、“仁木”や“銀山”だと『それどこ?』と言われそうだ)。
 小樽まではスムーズに行けるのだが、その先は1時間に1本しか汽車が出ていない。つい口癖で「電車」と言ってしまうが、すかさず母に「汽車」と訂正されてしまう。結局、小樽で1時間ちょっと時間を潰すことになった。駅前の団子屋で団子を食べたり、母が書店で本を大量に買い込んだり。
 小樽からの“汽車”はワンマンカーなので、アナウンスは録音されたものだった。通常のアナウンスに加えて英語のアナウンスが流れるのが不思議な感じ。どうやらニセコ周辺がオーストラリア人に人気らしく、その関係で英語アナウンスもあるらしい。

 銀山駅には夕方に到着。丘の上に建っている小さな無人駅、ホームは当然野ざらしで駅舎も小さい。母と二人で駅を降りて、坂道を下る。
 目の前には山に囲まれた丘陵地帯が広がり、野の花が色とりどりに咲き乱れている。クローバーの群生を見るのなんて、何年ぶりだろうか。
 駅を出て数分もしないうちに、喪服を着た人に声をかけられる。幼い頃から母を知っている村人だ。

「遠いところをよく帰ってきたね、突然でびっくりしたでしょう」
「これ、娘なのよ」
「あらまぁ! なんてあなたの若い頃にそっくり」

 銀山に滞在している間、私はずっとあらゆる人に母と間違われることになる。母の美醜はさておき、さすがに20歳以上離れた母娘に対して「姉妹かと思ったよ!」というのはお世辞が過ぎていると思うけどね。

 何人かの村人に遭遇しながら、数分で母の実家に到着した。私がここに来るのは20年ぶりか、25年ぶりか。荷物をほどくのももどかしく、喪服に着替えて神殿(と呼ばれる場所)へ向かった。
 母の実家は仏教ではないので、いわゆる神式(のような形式)で葬儀の一切が執り行われる。今日おこなわれるのは通夜ではなく「みたまうつし」。束帯を着た祭主と衣冠の祭員たちが雅楽の奏楽と共に神殿に入場し祭詞を読み上げ、列席者は玉串を捧げる。なんだかんだと1時間程で終了。祖父の人柄もあってか参列者は200人以上に及び、神殿には入りきらず、急遽別室にTVモニターを設置して中継するほどであった。

 私はといえば。正座でしびれる脚をよそに、神殿(と呼ばれる場所)の造作や、祭主・祭員の装束など、平安時代の様式と同じだなとおぼろげに考えていた。御簾で仕切られた祭壇と神殿は母屋と庇の関係だし、そこから障子で仕切られた外周の廊下は簀子のようなものだ。身近な場所にそういうものがあったとは、灯台下暗し。今後、源氏物語を読み進めるにあたって、イメージ作りに役立つ事だろう。

 儀式が終った後、仏式なら徹夜で線香を点しつつ文字通り「通夜」となるのだが、神式では特にそういったことはない。しかし、「通夜ぶるまい」が行われるのは同様。喪家の孫娘として、祭主・祭員の皆さんにお酌をしに行かされたのは、いかにも日本的・田舎的だと思った。まあ、孫一同が行かないと祖父が相手する羽目になるので、それはそれで祖父孝行なんだけどね。

 なんだかんだと終ったのが23時頃。メールチェックをしたかったが、銀山の山々に阻まれて携帯は見事に圏外になっていた。母の実家と隣接した母の従弟の家でLANを借りようかと思ったが、残念ながら従弟宅はダイヤルアップ接続のみ。電話回線はあるので、モデム内蔵のPCを持って来ていたらネットに繋げられるのだが、MacBookにはそんなものは付いていない。これは諦めるしかないと1時頃に就寝。