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2004年10月11日

「黒猫・白猫」

黒猫白猫

(1998年 フランス・ドイツ・ユーゴ)監督:エミール・クストリッツァ

ドナウ川のほとりのボロ家に住む主人公父子。父はギャンブル好きのダメオヤジで、息子は近所のカフェの女の子に恋をしている。マフィアのゴッドファーザーは入院中の祖父と親友だが、金に困るダメ父を助けてはくれない。ある日、ダメ父は列車強盗で一稼ぎしようとするが、新興マフィアに騙される。結果、息子は新興マフィアの娘と結婚式をあげるハメになってしまうのだが…。

以前、近所の映画館で上映してたけど見に行けなかったのでビデオで鑑賞。
舞台がどこなのかわからず、後からユーゴスラビアだと判明し、自分の想像していた東欧とは全然雰囲気が違っていて驚いた。もっと、シリアスな印象があったんだけど、それはきっと偏見なんだろう。

陽気に流れるジプシーブラスとゆるやかな日射しの中でバカバカしい人間ドラマが延々と展開されて、見ている方もなんだかどうでもよくなってきてしまう。銃はぶっぱなされ、手榴弾はお手玉になる。ブラスバンドが病院へお見舞いに来たかと思えば、通じない電話は電柱に水をかけて通話する。

タイトルに出てくる白猫と黒猫は話に直接関係しないが所々でコミカルに登場している。猫以外にもガチョウだのヤギだの、車を食べる豚だの変な動物がたくさん出てくるので、動物好きな人は楽しいかもしれない。

祖父とゴッドファーザーの爺さん役者二人がとてもいい味を出しており、「こういうしたたかな爺さん、いるいる」とニンマリさせられてしまった。陽気で楽しくてアホらしくていいね。

2004年12月 9日

Mr.インクレディブル

Mr.インクレディブル

http://www.disney.co.jp/incredible/

公開して最初の水曜レディースデーを利用して映画館に行ってきた。平日昼間の吹替え版のせいか、思っていたよりも空いていて快適に鑑賞できた。

最近思っていることなのだが、コメディとアニメは吹替えの方が内容を理解しやすくていい。今回の『Mr.インクレディブル』でもそうだが、矢継ぎ早にかけあいが行われると字幕では到底内容を捕捉できない。また、昨今の劇場アニメの場合は画面の情報量が多いので字幕を読んでいると、ストーリーの複線や世界のディティールを見落とす結果となってしまうことが惜しい。しかも、映画館の大きいスクリーンで見るなら、なおのこと。つまり、人間の視野角には限界があるので、たくさんの情報を見落としてしまい、結果的に映画館の大スクリーンなのに勿体ない結果となる。

さて、前知識は三浦友和と黒木瞳が吹き替えているディズニー配給のピクサーアニメということしか知らずに鑑賞した。あらかじめストーリーの展開を知らなかったせいか、どうなることかと興味津々で手放しで楽しめた。ピクサー映画は『ファインディング・ニモ』しか見ていないが、どちらもエンターテイメント精神にあふれつつも、底にはテーマがしっかりと設定されていて「キャラクターアニメは子供のもの」という固定観念を吹き飛ばすにふさわしい。実際、子供には絶対わからないであろう細かいエロネタや皮肉がちらほらとあったりして、大人はみんなニンマリしてしまうだろう。

残念だったことはふたつだけ。

ひとつは中盤から後半にかけて主人公のMr.インクレディブルよりも、インクレディブル夫人の活躍が目立ってしまったことだろうか。この奥さんのファンになる人は多いと思う。身も心も家族のことを愛していることがとてもよく伝わってくる。

ふたつめは、ピクサーとディズニーの契約が次作『Cars』で終了するため、続編が作られる可能性が限りなく低いということだ。魅力的なキャラクターがたくさんいるし、もっと背景の人物像を掘り下げたエピソードも見たいし、ぜひ続編やミニシリーズが見たいところなのに……。キャラクターの取り扱いにはどこよりもうるさいディズニー配給なので、恐らくこれが最初で最後の『Mr.インクレディブル』になるんだろうなぁ。残念だなあ。

まぁ、それはさておき。ビデオでも多分楽しめるけど、疾走感やダイナミックな映像を楽しみたいならぜひ映画館へ行くことをおすすめする。週末の吹替えは家族連れが多いようで敬遠する人も多いだろうが、できれば一度は吹替えで見てみてほしい。エンドロールも凝っているので、最後までちゃんとみてね。

※個人的な小ネタとして、中盤に登場するデザイナーが、いかにもなキャラクターで気に入った。人物のモデルは川久保玲や森英恵で、着ている服はイッセイのプリーツかなーなどと想像するのが楽しかった。

2005年9月13日

「ブラス!」

ブラス!

(1996年 イギリス)監督:マーク・ハーマン

英語学校のライブラリーで発見しまして、元・吹奏楽経験者として、見過ごせないタイトルだったので観ました。10年前のイギリス映画です。

舞台は閉坑間近のイギリス・ヨークシャー州のグリムリー炭坑。主人公は坑夫達で構成される炭坑のブラスバンド、金管と打楽器だけで編成されるバンドです。炭坑と文化という意味では「リトル・ダンサー」と似た雰囲気の映画でした。

サッチャー政権下、経営者によるリストラで炭坑は閉鎖になることがほぼ決定し、解散の危機にみまわれるバンド。音楽を続けたくとも目前の失業には抗えないメンバー。借金に追われて新しい楽器を買えないトロンボーンのフィル。賭けビリヤードで楽器を手放してしまうテナーホルンのアンディ。そんなメンバーの心を知ってか知らずか音楽だけに情熱を注ぐ指揮者でリーダーのダニーは、コンクールで勝ち進み決勝のロイヤル・アルバート・ホールで演奏することを切望してメンバーに発破をかけます。

炭坑の存続と深く絡まり合うバンドの存続。突然現れた若いフリューゲル吹きの女性。経営者が巧妙に仕組んだ無記名投票。コンクールの行方。……そんな要素を織り交ぜながら、時におかしく時に哀しく群像劇は進みます。もちろんイギリスお得意の皮肉とユーモアもたっぷりに。

素朴だけども美しい音楽と味のある役者達がたくさん出演しており、スケールの大きいハリウッド映画のような派手さは無いけれどもいい映画でした。若き日のユアン・マクレガーも好演です。
吹奏楽経験者であってもなくてもおすすめ。

※最後まで気になったのですが、どうしてバンドメンバーの皆さんは、楽器をむき出しのまま家から練習場まで行くんでしょうか。ケースに入れないとそりゃ傷付くわよ、金管なんだし。

※日本の中学/高校の部活でいうところの“ブラスバンド”は英語ではウインドオーケストラ(ウィンドアンサンブル)と呼ばれる模様。金管と打楽器だけではなく、木管が追加されます。場合によってはコントラバスやハープが追加されるところもあったり。ちなみに誤解してる人が多いのですが、フルート(銀、金)やサックス(真鍮)は金属でできていますが木管楽器です。
http://www8.plala.or.jp/suzosa/BrassBand.htm
http://www.keddy.ne.jp/~brass/html/brassband.htm

※「炎のジプシーブラス」も未見なので早く観なきゃ。

2005年9月14日

「昼顔」

昼顔

(1966年 フランス)監督:ルイス・ブニュエル

ビデオ屋に行くチャンスがあったので借りてきました。
DVDで見たかったけれど、予想通りビデオしかなく残念。

なんせ、カトリーヌ・ドヌーヴが美しくおしゃれな映画。
ネットで調べたところ着ているのはすべてサンローランらしい、さすが。当時23歳のドヌーヴは何を着てても(裸でも)ゴージャスで、魅力的かつ退廃的。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』でも、ドヌーヴだけ浮いてたので、やはりこれはこの人の持つオーラなんだろうと思う。妄想の中で汚されるドヌーヴは、誰にも見せられないエロスを放っている。

夢と妄想と現実が唐突に混ざるのと、ブニュエルの手腕だと思われる突き放したようなシーン構成に加え、やはり「フランス映画だから」という独特のわけのわからなさで、原作読んでないと混乱しそうだなと思った。映画オリジナルで付け加えられたシーン(アナイスの家のお客たち)は変態的で好み。すべてを見せない簡略した表現で、どんな変態的なことが起こっているのかとわくわくする。あの箱の中には、ベッドの下には何があったのだろう。

ひとつ気に入らなかったのはラストとそれにつながる“事件”。映画オリジナルのラストシーン自体はいい。だが、ラストも“事件”きっかけを起こすのがこの人物ではだめだろうと思う。原作の人物が語るからこそ、その残酷性が生き生きとするのだ。映画だけでは単にあの人物が悪者となって終わりのような気がする。

映画を見て不完全燃焼だった人はぜひ原作をとおすすめしたい。
でも、ドヌーヴの美しさを味わうには映画には何物も勝らない。

2005年10月12日

「チャーリーとチョコレート工場」

チャーリーとチョコレート工場

http://wwws.warnerbros.co.jp/movies/chocolatefactory/
(2005年 アメリカ)監督:ティム・バートン

レディースデーなので近所の映画館で鑑賞。
さすが、女性多し。カップルも多し。私は一人。
以下、ネタバレなのでご用心。

さて、前作の『ビッグ・フィッシュ』で監督として激しく昇華したと思われるティム・バートンだが、
それを期待して行くと完全に肩すかしをくらう。キャストが数人カブっているだけになおさらだ。

ジョニーデップ演じるウォンカ氏のキャラは、かなりいい。
傾きまくったチャーリーの家や、4人の祖父母が一緒に寝てるベッドや、チョコレート工場の中の幻想的な緑の丘や、あらゆる美術も最高だ。今回の目玉であろう、ウンパ・ルンパも真面目な顔していい感じだ。百歩ゆずって、途中から先が見える展開も原作ゆえリメイクゆえ子供向けゆえと目をつぶろう。登場人物が全員妙に肌が加工されたようにスベスベなのも演出だと思う。オープニングの見るからにCGだとわかってしまう工場機械も許そう。

ティム・バートンが監督した作品だと知らなければ、私はかなり気に入ったことだろう。
だけど、これはティム・バートンの作品なのだ。ここには『ビートル・ジュース』と『マーズ・アタック』の徹底したばかばかしさとブラック・ユーモアも、『シザー・ハンズ』のロマンチックな感傷も、『スリーピー・ホロウ』の美しい怪奇と痛快さの両立も、なにもない。それらはすべてティム・バートンの魅力だったのではないだろうか。ましてや、『ビッグ・フィッシュ』でそれらすべてを絶妙のバランスで共存させた後の作品ではないのか。

この、観賞後のモヤモヤしたやりきれなさは何だろう。美術最高だったのに、リー様の歯医者も良かったのに、好きなシーンはけっこうあったのに、すごくティム・バートンだったのに、映画館を出た瞬間に不満ばかりが残って気持ちが悪かった。

今までのバートン作品では、「今回ティム・バートンはこういうことがしたかったのね」と好き嫌いは別として納得できた。だけど、『チャーリーとチョコレート工場』は釈然としないものがある。多分、それは中途半端なテーマの見え隠れなのかなと思う。半端に道徳的、半端に皮肉、半端にグロ、半端に幻想的。それらすべてのバランスが悪すぎる。パーツはどれもとびきりなのに、組み立て方が悪すぎる。ほんと、最後に4人の子供が帰って行くシーンなんていらないのに。

ジョニー・デップに対して「ジョニデかっこいい〜」と嬌声をあげる女の子たちには楽しいでしょう(ジョニデとかブラピとかそういう略し方は大嫌いです)。子供にトラウマを与えるには毒が少ないので残念です。

一番残念なのは、せっかくのティム・バートンの新作を楽しめなかった私自身かもしれない。ネット上を始め、各所で絶賛されているのに共感できない自分が残念。チョコも大好きなのにね。

2005年10月14日

「12モンキーズ」

12モンキーズ

(1995年 アメリカ)監督:テリー・ギリアム

公開当時、Kと一緒に劇場で見た。当時、観賞後に大混乱して「えええ、なんでそうなるの」大騒ぎしたことを覚えている。今思うと、字幕だったせいもあるんだよな。こういう情報量の多い映画は吹き替えで見るに限る。それでも、ピアソラの音楽がかっこよかったのと映画自体も気に入ってしまったのでサントラを買ってしまったのだった。ついでにサントラのジャケットをスキャンして、Macの壁紙にしていた。アラート音も動物の鳴き声にして、恐怖感ばっちり。つまり、それほどこの映画にハマっていたわけだ。

さて、そんな記憶も懐かしく、ビデオ屋で見つけたので2回目の鑑賞を吹き替えで実行。当時、ワケがわからなかったつじつまも、再見のせいかすっきり理解できて気持ちいい。

時は22世紀、細菌により地上に住めなくなった人類は地下生活を送る。地上は動物達の天下となり、熊がライオンが廃墟となった市街を闊歩している。主人公のコールはすべてが起きた発端である1995年に送り込まれるはずだった。謎のテロ集団“12モンキーズ”が行ったとされる細菌の原株を手に入れるために。

タイムパラドックス、伏線、それらが最後に見事に収束する。「どうして?」の原因がわかっていくのは気持ちいい。ラストシーンでそれは頂点に達する。彼女の笑顔のなんて悲しいことか。そして、ゆったり流れるルイ・アームストロングの「What a wonderful world」。じんわり、涙ぐんでしまう。

当時知らなかったのだけど、監督のテリー・ギリアムは『未来世紀ブラジル』などで有名なカルト映画監督だ。もうすぐ、新作の『ブラザーズ・グリム』が公開される(これもぜひ見に行きたい)。

美意識の高い監督で、衣装や美術にもこだわりが感じられる。明らかなサイバーパンクではないけれど、未来的な懐古的な、そんな感じ。今回、DVDで見ていて気づいたが、変態ゲーム『クーロンズ・ゲート』と似たようなテイストを感じる。そう、“ガタリ(ダミアヌス?)”も出てくるしね。そうそう、映画のロゴもかっこいい。

『インタビュー・ウィズ・バンパイア』で気に入ったブラッド・ピットは、『レジェンド・オブ・ザ・フォール』でなんだか二枚目系になってしまい、『トゥルー・ロマンス』のジャンキー役で安心し、この『12モンキーズ』でやっぱりおかしい系で最高だった(その後は二枚目系ばかりが強調されるようになり興味を失う)。

主演はブルース・ウィルス。キュートなお尻を見せてくれます。

2005年10月17日

『ザ・ビーチ』

ザ・ビーチ〈特別編〉

http://www.foxjapan.com/movies/beach/
(2000年 アメリカ)監督:ダニー・ボイル

レンタル屋で手に取った瞬間、Kが一言「なんでそんなB級」。
最初に書いておくが、私はディカプリオファンではない。

そもそものきっかけは「サントラがいい」という評判からだった。
その中の一曲"Porcelain"をFMで聞いて、Mobyに興味を持った。
数年前、Kと一緒にプーケット島に行ったことがある。
ピピ島には行かなかったが、地震の前のタイ・リゾートを知っていた。
ついでに、この映画は東南アジアをフラフラしてるダメ白人の映画だというではないか。
それなら、見るしかないでしょう。と、公開後、5年経ってやっと見る気になった。

映画の中の南国のビーチは美しい。
バンコクの夜の街の描写はプーケット島のパトンビーチを思い出す。
そして、そこを徘徊している金の無い白人も記憶のままだ。

ディカプリオ扮するリチャードはそんなアメリカ人の一人として登場する。
自分探し、過去との決別、そんなありきたりの理由でタイに来た。
高級リゾートホテルに泊まれるわけもなく、滞在はもちろんシャワーも共同の安宿だ。

隣室のジャンキーに地図と噂を教えてもらう。
それは秘密のビーチ。
あたりには天然の大麻畑、断崖に囲まれて外からは見えない秘密の楽園。
安宿で知り合ったフランス人カップルと一緒にビーチを目指すリチャード。

まあ、そこから後は、実際行ってみたらヒッピーもどきの白人が作るコミュニティーだったとか、
楽園の維持のために残酷な暗黙の了解があったりとか、
生理用品や避妊具はどうしてるんだと思ったら、時々代表が買い出しに行ってるとか、
ありきたりといえばありきたりな展開だった。
いや、面白いことは面白かったけどね。

外国、特にアジアで現地民化してる白人はこういうのが多いよなと納得できる描写。
それは日本も含まれるんだけどね。
東南アジアほど治安は悪くないから、ここまでひどいのはレアだろうけど。
きっと、ヨーロッパやらアメリカで現地化してる日本人も似たような感じに見えるのかもね。
そのあたり、現在フィジー駐在中の義妹に聞いてみたいところではある。

さて、映画の中で良かったこと二つ。
ひとつは前述のサントラ。確かにいい。
もうひとつは、ティルダ・スウィントンが出ていたこと。
『オルランド』以来、この女優さんは大好きなのだ。
ケイト・ブランシェットと同じタイプの、仙女系女優さん。

ネットでいろんな人の感想を読んでまわると、どうやら原作の方がいいらしい。
気が向いたら読んでみよう。ま、覚えてたらね。
その程度の映画といえば、その程度でした。

2006年4月20日

ひさびさ更新なんですが。

覚え書きで恐縮です。

忘れないように3月以降に読んだ本のメモ。

「博士の愛した数式(小川洋子)」
「夜市(恒川光太郎)」
「マリー・ベル事件-11歳の殺人犯(ジッタ・セレニイ)」
「カスピアン王子のつのぶえ(C.S.ルイス)」

全部図書館で借りた本なのが嬉しい私は関西人。
住民税、なんぼでも取り返すで。

今読んでいるのは「どくろ杯(金子光晴)」。もうすぐ読了。
これは図書館ではない。

読んだ本それぞれに読書感想文を書く余裕があるのか否か。

レンタルやら手持ちのDVDやらで見た映画。

「JFK(オリバー・ストーン)」
「ベニスに死す(ヴィスコンティ)」
「アリス(シュヴァンクマイエル)」
「ファウスト(シュヴァンクマイエル)」

すべて再視聴。以前に一度ないし複数回見たことがあるもの。
シュヴァンクマイエルの「ファウスト」はとてもとても好きな一作。
シュールでエロティックでかわいらしくて、最高。

「ベニスに死す」はVHSしか無かったのが残念。
なぜか私の記憶ではモノクロだったのだが、カラーだった。
なおさら、DVDで細やかな部分が見たかった。

借りたい映画はヴィスコンティの「山猫」。
「神々の黄昏」もまた見たい。どっちもかなり長尺だが。

チェコアニメ映画祭も映画館に見に行かねば。
昨今の「アニメ」ということばから想像するものとはあまりにも違う「アニメ」がそこにある。

来月は「ダ・ヴィンチ・コード」も。
前売り券を買ってしまうほど楽しみ、主にロンドンとパリの描写が。

「ル・ボーズ」という小説を幸運にもネットで2章まで読むことができたが、
それ以降はいつ読めるようになるのか不明。
ネット小説といえば、今読んでいるのは「ササイ」。某SNSでも応援している。

2006年5月 5日

『華氏911』

華氏 911 コレクターズ・エディション

言わずと知れたマイケル・ムーアのブッシュ批判映画。
KがDVDを借りて来たので一緒に見る。
前作(?)『ボウリング・フォー・コロンバイン』を見たとき同様、
わかりやすく一方向に向かっている内容だけに、
非常に納得できたり腹立たしさに共感する箇所もあるのだが、
そのまま素直に受け入れてはいけない危険性を感じた。
監督の恣意的な感覚の中に無防備に巻き込まれてはいけないんじゃないかなと思う。

思考停止したあとは、
アラブ人の丈の長い民族衣装がかっこいいなとか、
なんでみんな赤白チェックのやつをかぶってるんだろうとか、
そういうどうでもいいところばかり見ていたのであった。
長いのをずるずるとひっぱる衣服は、どんな民族衣装でもかっこいいなあ。

2006年5月31日

更新サボってました。

あまりにもblogを放置していたら、
Kのご母堂より「入院でもしてるんじゃないの?」と電話をいただいてしまう。
ものぐさなんです。超健康です。ごめんなさい。

この3週間で読んだり観たりしたもの。ミニ感想でまとめます。


【漫画の部】

ポーの一族 (1)

・『ポーの一族』
押し入れから発掘されたので再読。
やっぱり何度読んでも良いものは良い。
執筆時にすでに“古い時代”が舞台の背景になっているので
今読んでもまったく古さを感じないのも魅力のひとつ。


【DVDの部】

Quartet(カルテット)

・『カルテット』
久石譲の初監督作品。袴田くんは弾きマネが下手すぎて萎える。
ついでにあり得ないシチュエーション連発で萎える。ストーリーも陳腐。
部分的に美しいカットはいくつかあったのでそれだけが救い。

ブラザーズ・グリム DTS スタンダード・エディション

・『ブラザーズ・グリム』
テリー・ギリアムのファンタジー作品。
随所にグリム童話がコラージュされており、
なんだか『大神』と通じるところがある。
モニカ・ベルッチ様の悪の女王っぷりが素晴らしい。
また、一瞬だけ登場するクッキーモンスターのようなクリーチャーが個人的にツボ。
似たテイストの『スリーピー・ホロウ(ティム・バートン監督)』や、
同じくギリアムによる『12モンキーズ』ほどの魅力はないが十分に楽しめた。

ハウルの動く城 特別収録版

・『ハウルの動く城』
言わずもがなの宮崎作品。木村拓哉の声が心配だったが、それは杞憂に終る。
公開当時、「魔法使いは姿を変えて戦った、それが元に戻れないというのに」
という、コピーに惹かれてウキウキしながら原作を読んだが、
戦争のシーンは微塵も出てこないままに読了してしまった。
映画では一体どこでどう戦争になるのかと思いきや、
そのあたりはかなりストーリーが潤色されていた。
原作者は怒らなかったのかなぁ。
終盤、物語が収束しはじめた途端につまらなくなってしまい、
映画館に行かなくてよかったと安心。
うーん、『千と千尋…』はDVDを買ってしまうほどに好みだったのになあ。
『ゲド戦記』も推して知るべし。監督は息子だけどね。

下妻物語 スペシャル・エディション 〈2枚組〉

・『下妻物語』
これまた人気でいつもレンタル中の映画。
土屋アンナがとてもいいのは今さらとして、
映画そのものも、キャンディーやキャラメルの袋詰めのように
いろいろと盛りだくさんで楽しかった。
すべてが大げさで漫画的で、でもそれがくどくなく手放しで楽しめる感じ。
一カ所だけ希望を言えば、フカキョン演じる桃子は尼崎出身という設定なので
もっとええ感じに関西弁しゃべらしたらな!
難しいのわかるねんけど、小さい頃から関西で生まれ育ったんやったら、
もっとアクセントとかイントネーションとか匂わしたらんと!
ナメとったらあかんぞ(やりすぎ)。


【読書の部】

バスジャック

・『バスジャック』三崎亜記
新聞の書評で知り、面白そうだったので図書館で借りる。この筆者の本は初読。
限りなく日常でありながら少し奇妙な出来事がモチーフの短編集。
設定や題材は面白い、が、筆者はどうも短編が向いてないように思う。
短編というよりもショートショートと呼べそうな短さで、
しかも尻切れな印象なので、それぞれのイマイチ感がぬぐえない。
その証拠に収録作の中でも長めの『動物園』はなかなか良かった。
そう考えると星新一は、短くて面白くて偉大なんだなぁ。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる

・『ウェブ進化論』梅田望夫
話題なので一応読んでおこうかなと、やっぱり図書館で借りる。
さすが話題になるだけあって、面白い内容だった。
あ、もちろん内容のすべてを理解したわけじゃないですよ。
私のような浅学な輩が理解できるわけないでしょ。
Googleがどうしてすごいのか、“すごい”と呼べるようになった理由はなにか。
ついでに曖昧にしか理解できていなかったWeb2.0もちょっとだけ理解が深まった。
ちょっとGoogle賛歌がハナにつく箇所もあったけれど。
ま、何度も読み直すような内容ではないので、古本屋か図書館で十分だと思われます。
※読後、立て続けに仕事の打ち合わせの席でこの本の話題が出る。読了しといて良かった。

手で作る本

・『手で作る本』山崎曜
手製本についての本。内容は作例の美しい写真と制作方法の解説。
突如としてハードカバーの手製本をやってみたくなり、色々と解説書を探した結果、
一番美しくセンスが良いこの本を買ってみた。
紙が本の形になった瞬間に、どうしてこれほどに存在感と魅力に溢れるのだろう。
通常は二次元でしか存在しない絵や文字が、
本の形を取った瞬間に“実在”しはじめる感じはたまらない。

2006年6月23日

『ザ・ファン』

ザ・ファン
(1996年 アメリカ)監督:トニー・スコット

 調べものをしていたら↓このページに迷い込み、面白そうだったのでレンタルしてみた。
http://ya.sakura.ne.jp/~otsukimi/hondat/view/fan.htm
※上記ページはラストまで言及している箇所があるのでネタバレ注意。

 ロバート・デニーロのストーカー役は「ケープ・フィアー」の印象が強いが、あちらが“屈強で怖いもの無し”なイメージだったのに対し、本作ではどこか哀愁ただよう淋しいストーカーになっている。

 ナイフ会社でセールスマンをしている主人公ギル(ロバート・デニーロ)は、成績不振によりクビの危機にある。楽しみは離婚した妻のもとにいる幼い一人息子に野球を教えることと、ジャイアンツを応援すること。特に今期は彼が長年応援していた人気選手ボビー(ウェズリー・スナイプス)が高額で移籍してきたこともあり、応援にも熱が入る。

 そこまでなら、普通の野球好きのオヤジだが、失職や息子へ近寄るなという元妻の警告がきっかけとなり、結果的に心の拠り所はボビーだけになってしまう。しかし、ボビーは自軍のライバル選手に阻まれてスランプ中。ボビーが打つことだけが生き甲斐と化しているギルを裏切るかのように打てないボビー。

 劇中に多くは語られていないが、主人公ギルの父親はナイフ会社の創業者であり優秀なナイフ職人だったようだ。ギルはナイフに対して目利きであるがゆえに、安物で価格競争に勝とうとする会社と対立したことが間接的に失職の理由となっている。「俺だけが本物をわかる」という思い込みは随所で見られ、リトルリーグで練習中に打てない息子を見て「息子が打てないボールを投げるコーチが悪い」と食ってかかるくだりもそれを表している。最終的にその思い込みは応援する野球選手にもあてはまり、「俺の応援するボビーを活躍させない周囲が悪い」となり、彼のストーカー行為はエスカレートしていく。

 ついにギルはボビーのライバル選手を殺害、結果的にボビーはスランプを脱出する。思い込みは「俺のおかげでボビーは打てるようになった」というものに変化する。「ボビーは俺(ファン)に感謝するべきだ」とも。

 ひょんなことからボビーの息子を助けたギルは、ボビー本人の口からファンを否定する言葉を聞いてしまう。かわいさ余って憎さ百倍、ギルは衝動的にある行為に及ぶ。実はこのあたりからドロドロのラストにめがけて映画もダレはじめ、リアリティが欠如する部分が出てくる。最終的には「えぇぇ、そんな終り方なのぉ!!?」と言いたくなるラストで、なんとも置いてきぼり感が強い。

 冒頭で紹介したurlにもあるように、根底には「家族」がテーマになっているようなのだが、それよりもデニーロが突っ走って行く様子ばかりが気になってしまう。ただのファンがどうして選手たち行きつけのバーを知っているのか? どうして簡単にライバル選手を殺せるほど接近できるのか? セキュリティは? 息子の命の恩人とはいえ、どうしてボビーは見ず知らずの人間を自宅でそこまで歓待するのか? 野球は知らないと嘘をついたギルの言動がおかしいことに、どうして最初から気付かないのか? 疑問をあげだすときりがない。映画本編の始まり方や音楽の使い方にはいい部分があったので、そこがせめてもの救い。

 ストーカー・デニーロを味わいたいなら『ケープ・フィアー』、イっちゃってるデニーロなら『タクシー・ドライバー』に限ると再確認した映画だった。デニーロもいい役者なんだから、作品を選んでもらいたいものだ。

2006年6月28日

『デトロイト・ロック・シティ』

デトロイト・ロック・シティ

(2000年 アメリカ)監督:アダム・リフキン

 先日、Steve&サトミさんの家でイングランド初戦を見た後、背後でなにげなく付いたままのTVに映し出されたのは、70年代後半臭がぷんぷんと漂う写真とKISSの演奏シーンだった。一瞬、ビデオクリップか何かかと思いつつも、それは横目にダイニングテーブルを囲んでサトミさんとおしゃべりを続ける。彼女お手製のタンドリーチキンをほおばりながら、ついつい画面が気になる私。ソファに並んで座り、画面を食い入るように見ているのはSteve(42歳)と息子のJules(20歳)。どうやら、画面に映っているのはビデオクリップではなく映画のようだ。

 画面の中ではアメリカ人高校生と思しき男の子たちが誰かの部屋でバンドの練習をしている。服装や部屋の様子から察するにKISSのコピーをやっているようだ。現実世界でソファに座って映画に興じるロック好きな父子は、時おり声を揃えてバカ笑いしている。タンドリーチキンはおいしいけれど、おしゃべりも楽しいけれど、あの映画は何だ?

「サトミさん、なんかKISSがTVに出てすごく気になるんだけど」
「あら、この映画知らないの?」

 知らないよ、と答えようとした瞬間、映画の背景の音楽が急に悲しげなクラシックに変わった。学校の廊下の影から何かを見守る先ほどの男の子達、どうやら彼ら4人が主人公のようだ。その視線の先にはベンチに座った一人の中年女性。多分、主人公の誰かの母親だろう。

 音楽の悲哀漂う盛り上がりとともに、母親は手に持った何かに火をつける。主人公達の表情がみるみる歪む。点火されたソレを、母親は目の前の灰皿にぽいと捨てる。音楽は最高潮に悲壮な響きを奏でる。

 ソレはコンサートチケットだった。「KISS」の文字が読める。そうか、この男の子達はKISSのライブに行く予定だったのに、チケットを燃やされてしまったんだ。TVの前で大爆笑しているSteve父子。

「面白いよ、この映画。有ちゃんも観るべき」笑い転げる自分の夫と義理の息子を眺めながら、サトミさんは言った。とはいえ、そろそろ日付も変わる時刻だというのに、いつまでも他所のお宅にお邪魔するわけにはいかない。このまま続きを観たい気持ちを押さえて、週末の楽しいホームパーティーから帰路に着いたのだった。もちろん、映画のタイトルを聞くことは忘れなかった。

 かくて、私は数日遅れてビデオ屋で『デトロイト・ロック・シティ』を借りることに成功。今度は我が家の居間で最後まで楽しむことにした。

 物語は1978年のアメリカの田舎町から始まる。高校生4人組は親の目を盗みながらKISSを崇拝し、コピーバンドを組んでいる。そして、いよいよ今日は待ちに待ったKISSのデトロイト公演というその時、母親の一人がそのチケットを燃やしてしまうのだ。「神を冒涜する悪魔の音楽は許さない」。

 人の愛と情熱はそんなものにはくじけない。チケットが無かろうが、なんとかデトロイトに行って自分たちの目と耳でKISSのライブを体験するんだと、青春の試行錯誤が始まる。そう、映画の中は青春の香りでいっぱい。70年代だから、ドラッグだってセックスだって出てくるんだけど、どれも青春の香りに包まれているので、なんだか懐かしいようなかわいらしいような、幸せな気分になるのだ。KISS世代ではない私でも楽しめたのは、そんな青春の名残を感じられたからだろう。

 ラストはおおよそ予想がつくのだが、その過程が凝っていて面白い。反復する伏線や、いい味の脇役たち(ディスコ派のイタリア人ヤサ男、男性ストリップバーのマッチョなバーテン、ばっちりエースのメークでキメた子供、etc..)が、うまく最後に収束していく。

 ひさしぶりに楽しい映画を観られて満足。偶然から、こういういい映画に出会えると楽しい。

2006年7月 1日

『ブロークバック・マウンテン』

ブロークバック・マウンテン プレミアム・エディション

http://www.wisepolicy.com/brokebackmountain/
(2005年 アメリカ PG-12)監督:アン・リー

 近所の映画館の前を通ったら「映画の日」の告知があったので衝動的に鑑賞。“ゲイのカウボーイ映画で、濃厚なキスシーンがある”という程度の認識だったが、友人のはさみちゃんが絶賛しているので興味を引かれた。

 始まりは1963年、舞台はアメリカはロッキー山脈がまたがるワイオミング州。主人公は二人の若く貧しい男、イニスとジャック。季節労働者として仕事を探しに来た二人は、山奥で野営しながら羊番をすることなる。大自然の中、いつしか二人の間には愛が芽生え……とありきたりなストーリーに見せかけつつ、映画本編は延々とそれから20年間にわたる二人の関係を描いていく。てっきり、“one night stand(一晩だけの情事)"ならぬ“one summer stand"かと思っていたので、この展開には驚いた。

 最初に性交渉をもちかけるのは、ゲイ気質で人なつこいジャックだ。朴念仁でゲイにトラウマがあるイニスは激しく反発するが、二度目の性交渉を終えた頃には二人はすっかり恋人同士になっている。このあたり、人淋しさの解消や性欲処理の意味も推測されるが、もともとイニスが潜在的にゲイだったと考えるのが普通だろう。バイセクシュアルの友人は「男でも女でも好きになった人が好き」というニュアンスだが、イニスの場合はそういう空気を感じないので、自分をヘテロだと思っているゲイだと予想される。身近のヘテロの男性達を見ていると、同性愛への嫌悪感はすさまじいものを感じる。

 イニスのトラウマとは、子供の頃に父親に見せられた“ゲイゆえにリンチされて殺された男の死体”だ。どうやら当時の社会では珍しいことではなく、それほどにゲイは忌み嫌われていたようだ。裏を返せば、それだけゲイが多かったということが想像できる。

 一ヶ月足らずの山仕事を終えた後、下山した二人はそれぞれの生活を始める。イニスは一夏の情事を忘れるように、すぐに婚約者と結婚。ジャックもまた、ロデオで知り合った女性と結婚。それぞれ子供が生まれて父親になったが、ジャックがイニスに葉書を出したことから二人は4年ぶりの再会を果たす。妻との関係が冷めはじめたイニスはかつての恋人との再会を喜び、「男同士の積もる話しがあるから今日は帰らない」と妻に言い残してモーテルに出かけて行く。

 それ以降、二人は“釣り友達”と称して年に数度の逢瀬を重ねるようになる。ここからの二人はゲイ特有というよりも、単に不倫のカップルとしての交際だろう。イニスは間もなく離婚し、二人の関係を阻むものは、ジャックが既婚者だという一点だけだ。ジャックの視点から見ると、イニスが女性でも男性でも、妻に隠さねばならない不倫関係であることには変わりがない。一方、イニスは“道徳的”な社会から文字通り抹殺される恐怖と、自分の中のジャックへの恋慕の板挟みとなって苦しむ。ジャック以外に唯一心を開いている実娘たちも、彼を抑止する要因のひとつだ。

 結局、物語は悲しい結末を迎える。悲恋物語ではあるが、最後には望みが無くはない。細々と丁寧に作り込まれた演出や心理描写、それを演じる主演俳優二人、アン・リー監督らしい美しい映像は良かった。

 個人的には、残念ながら泣けるほどの感動はなかった。それは私個人の恋愛・結婚観と関係しているかもしれない。結局、悲恋となった原因は(劇中での)ゲイの反社会性云々よりもお互いの保身なのではと邪推してしまう。社会的制裁を恐れるイニスはともかく、経済的理由から妻と結婚生活を続けるジャックには正直なところ同情しにくい。火遊びではない本気の恋だというのなら、さっさと別れてイニスのところに押し掛けないのはなぜだ。乱暴に書けば、妻達は永遠に勝てない相手を意識し続けなければならないというのに、本人達だけがロマンチックに悲恋に酔っているのは不公平だろうに。愛情のバランスが偏った結婚生活は、幸せよりも不幸を生むだろう。どちらかが配偶者以外を見ているのなら、それは如実だ。そういう意味では、再婚しなかったイニスはまだ誠実だと思った。

 女性ならば楽しめる人が多い映画だと思うが、同性愛に嫌悪感を感じる男性にはおすすめできない一本。実際にゲイである人の感想を知りたいものだ。

2006年7月 3日

『グッドフェローズ』

グッドフェローズ
(1990年 アメリカ)監督:マーティン・スコセッシ

 デニーロが『タクシー・ドライバー』のスコセッシ監督と再度組んだ作品。とはいえ、主人公はレイ・リオッタ演ずるヘンリーで、デニーロはその兄貴分役のジミーを演じている。

 かいつまむと、少年時代からマフィアに憧れた主人公ヘンリーが、実際にマフィアとなって成功と没落を味わう成長物語。ただし、実話が元になっているからか、登場するのは『ゴッド・ファーザー』のように“かっこよく渋いマフィア”像ではなく、あくまで現実的なアメリカのチンピラの世界だ。

 みどころは二つ。

 一つはマフィアの権力による繁栄。警察は当然、刑務所ですら抱き込んであり、投獄されてもオマール海老やステーキを毎日調理して食べられるほどだ。あまつさえ、看守の部屋を借りてドラッグの密売を行ったりもする。また、金遣いも当然派手で、あらゆる物事が金と銃で解決されてゆく。どこでも並ぶ必要はなく、10ドル紙幣を数枚渡すだけで人気のレストランではすぐにいい席に案内してもらえる。妻はことあるごとに札束をねだり、愛人はあてがわれた住宅に女友達を招いて高級な家具や内装を自慢する。

 もう一つは彼らのもろい関係だ。基本的に理知的な人間は皆無なので、簡単に裏切り、殺し合い、絆が深いゆえに常にお互いを疑い合う。そこがとてもリアルで、仲間を信頼しながらも同じぐらいに警戒して怯える様が、さりげなく凄みを出している。例えば、主人公の妻が兄貴分のデニーロに「ディオールのドレスがあっちにあるんだ」と路地に案内されるくだり。「そこそこ、そこをまっすぐ」と、路地の奥を進むように後ろから指図するデニーロ。しかし行けども行けども寂れた路地しかなく、その奥にはチンピラたちがにやにやと笑って立っている。「やっぱり、いらないわ!」と危険に気付いた妻は慌てて車に飛び乗って逃げる。その間、デニーロはずっと笑顔だ。現実のマフィアは手の込んだ真似をせずに、笑顔で近づいてきていきなり手を下す冷酷さが描かれている。

 物語の最後も、些細なヘマと身から出たサビで、主人公は警察とマフィアの両方に追われる身となる。最後に主人公が取った解決策は、お世辞にもかっこよいとは言えず、自分の命を守るにはなりふりかまっていられない点が強調される。それが結果的に仲間を裏切ることになろうとも。

 主人公とデニーロ、そしてジョー・ペシ演ずる短気なチンピラは仲間であり、お互いを“グッドフェローズ”と呼んで連帯意識を高めていた。だが、それも結局は上辺だけであり、内実は疑心暗鬼の塊だ。その言葉の皮肉な空しさが、リアリティをいっそう高める。

 数年ぶりに見たが、映画の中で約20年の時間が流れるので古さは感じない。逆に、小道具や美術、衣装など、そのときどきの風俗も含めて楽しめることを発見した。デニーロの髪が白くなっていき、老眼鏡のようなメガネをかけるようになるのが凝っている。その老眼鏡が、裏切りの怖さも演出しているのが上手いと思う。

 全体にテンポよく長回しや音楽が使われており、2時間30分の長尺をまったく感じさせない仕上がりだ。特に音楽はセンスがよく、その時代にあったヒット曲が効果的に使われている。なぜか、我が家にはサントラがあるほどだ。

 マフィア映画が好きな人にはぜひおすすめしいたい一本。

2006年7月 6日

『アイランド』

アイランド 特別版
(2005年 アメリカ)監督:マイケル・ベイ

 理由があって数年に一度、ロンドンに行くのだが、そのときに使う航空会社は必ずヴァージン・アトランティック航空と決めている。理由は、機内のありとあらゆるもののデザインが良く、機内エンタテイメントも充実しているから。オンデマンドで見られる映画もそのひとつで、毎回何を見られるかと楽しみにしている。

 昨秋、2年ぶり(多分)に渡英したときも、往復ともいろいろと映画を楽しんだ。とはいえ、そこは英国の飛行機。時々不調になってしまうことがあるのが玉にキズ。帰国便で『アイランド』を見ていたら、映画後半から言語切替がおかしくなり、日本語吹替が機能せず英語音声のみになってしまったのだ。

 『指輪物語』や『ハリーポッター』など、お気に入りの映画ならばそれでも全然構わないのだが、初見の映画を英語で楽しめるほどに私の英語力は充実していない。とはいえ、サスペンス仕立ての物語の続きも気になるので、そのまま英語音声のみで最後まで見た。

 その結果、おおよその筋は理解できたのだが、どうしても一カ所だけ解せない箇所があった。最後にある人物が寝返る理由がわからなかったのだ。

 そして、今日。DVDを借りて来た。当然ながら日本語吹き替えで見る。以前は字幕派だったが、ここ数年は吹替派だ。単純に吹き替えの方が映像に集中できるのと、圧倒的に台詞の情報量が多くなるからだ。

 結論。謎めいて面白かった物語は、後半からただのアクション映画と成り下がるので英語音声だけでも全然問題はなかった。そして、肝心の疑問点は英語音声で見たときに推測したもので合っていた。あまりにも説得力に欠けるので、それは違うだろうなと思っていたのに。

 近未来が舞台のこの映画。おすすめポイントは3つしかない。

 一つ目は役者。ショーン・ビーンの悪役っぷりと、スティーブ・ブシェミのやっぱり悲惨な脇役っぷり。二つ目は物語前半で登場するコンピューターのインターフェイスのデザイン。ショーン・ビーン演ずるドクターの机の上のアレです。あのドラッグ&ドロップの感じはかっこよかった。最後はユアン・マクレガーのスコットランドなまり。詳細は伏せるが、いわゆる標準的英語とスコットランド訛と、両方を聞き比べることが可能。

 マイケル・ベイ監督は、この映画が大コケした理由を「主演の二人、特にスカーレット・ヨハンソンの演義がヘタクソだったからだ」と言ったとか。私は彼女をあまり好きではないのでどうでもいいが、それってどうよと思えるコメントだな。

2006年7月 7日

『リバティーン』

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(2005年 イギリス R-15)監督:ローレンス・ダンモア

 一昨年のイギリス旅行の最中、ロンドンからバースに向かう汽車の中で新聞の文化欄を眺めていた私は、ある写真に釘付けになった。そこにはボリュームのある真っ黒い巻き毛のカツラと中世のゴージャスな衣装を身につけたジョン・マルコヴィッチの姿があった。

 一緒にいた母はマルコヴィッチの写真を指差して「私この人嫌いよ。だって頭が良さそうで怖いから」と一蹴した。ところが"ジョンマル"ファンの私はそうはいかない。なにこれ、なにこれ、どうしてマルコヴィッチがこんな個人的にツボな格好してるのさ。食い入るように記事を読む。

 私がマルコヴィッチを好きになったのは『仮面の男』からだ。彼はその中で高潔な元三銃士のアトスを演じていた。個人的に好きなバロックの衣装に身を包み、ノーブルなルックスと佇まいで髪をかきあげる彼に一目惚れした。彼は少し声が高いにも関わらず......。私は男性の声は低い方が好きなのだ。そのマルコヴィッチが、また中世の衣装で映画に出る。喜ばずにいられようか。主役はジョニー・デップらしいがそんなことは二の次、これは日本で公開されたら見ねば。

 それから帰国して2年後、『リバティーン』が近所の映画館でついに公開された。あのジョニー・デップ主演なのに、2週間しか上映されないらしい。これはよほど癖のある映画とみた。ハリウッドではなくイギリス映画というところも影響しているだろう。いそいそと喜こんで映画館へ行く私、予想通りに客は少ない。

 主人公は若きロチェスター伯ジョン・ウィルモット。エロティックで皮肉で風刺にあふれた作品を書いた天才詩人で、アルコールと梅毒が原因で33歳の若さで死去。この実在した放蕩貴族ロチェスターをジョニー・デップが、パトロンの国王チャールズ二世をマルコヴィッチが演じている。

 冒頭はロチェスターのモノローグから始まる。

 「始めに断っておきたい。諸君は私を好きにならないだろう
 淑女達に警告する。私はどこでも女を抱ける。
 (中略)
 どうか、私を好きにならないでくれ」

 性的にも奔放で普段から問題を起こすロチェスターは、大根女優リズ・バリーの才能を見抜き、彼女を大女優にすべく教育し、それは見事成功をおさめる。その頃、ロチェスターに手を焼きつつも優れた才能を認めていた国王は、フランス大使を歓待するための戯曲を書けと彼に命じる。できあがった芝居は猥雑で王室批判的な内容のもので、ロチェスターはそのまま逃亡する。

 R-15指定を受けているだけあって、表層的には下品な描写が多く、後半は陰鬱とも呼べる展開になっている。だが、その中にはたくさんのロチェスターへの愛が存在しており、下品な描写が逆にその物悲しさを強調している。女優リズや正妻はもちろんのこと、国王や従僕やなじみの娼婦、年下の若い男の恋人、ロチェスターの母、みんなロチェスターのことを愛しているのだ。

 物語の終わりが近づくにしたがって、アル中と梅毒で急激に無惨な姿になっていくロチェスター。それでも周囲はロチェスターを愛し続ける。

 特になじみの娼婦の愛が悲しかった。彼女はことあるごとに「客と娼婦」の関係を強調する。「用事が済んだら出て行って」「私の生活に入ってこないで」。追放から戻って来たロチェスターに「俺が恋しかったか」と聞かれ、「あなたのお金がね」と答える。すべて彼女の本心ではないことが明らかだ。娼婦である自分の立場から、本気でロチェスターを愛してしまう自分を押さえようとしている姿が痛々しい。逃亡生活中、ロチェスターが病に冒された惨い姿になってしまってさえ、彼女は傍らにずっと寄り添っているぐらいなのに。

 国王のロチェスターへの寵愛は、才能だけでなく恋人としても愛していたのではないかと思われる描写が散在している。ロチェスターが映画冒頭で"両方いける"ことを明言していることや、問題の戯曲の台詞からもそれはうかがえるだろう。国王はついにロチェスターの居所を探り当て、自ら貧民街まで出向く。どれほどの極刑を与えるのかと思いきや、「お前を無視することにする」と一言告げて去る。何も返事できずにいる病んだロチェスター。

 マルコヴィッチのノーブルな風貌が愛する者に失望する悲しい国王をよく表現している。もともとこの『リバティーン』はシカゴの舞台で上演されており、ロチェスター役を演じていたマルコヴィッチが映画化を発案したらしい。本来ならそのままの役で出演するところだが、28〜33歳のロチェスターを映画で演じるには歳を取りすぎているため、主役にはジョニー・デップを指名したそうだ。マルコヴィッチ本人はいい意味で突出しすぎず、それでも存在感を感じさせられてすばらしい。

 デップは「脚本の冒頭3行を読んで出演を即決した」という逸話の通り、かなり思い入れをこめて熱演している。逆に、バートン映画や『パイレーツ...』の"かっこいいジョニー・デップ"が好きな女性にはおすすめできない映画だ("チャリチョコ"や"ジョニデ"などと略してる人には特におすすめしない)。なにせ、前半こそバロックな衣装で美しい彼を堪能できるが、後半ではその真逆を見せられるのだ。

 また、マイケル・ナイマンによる音楽や、薄暗い照明も雰囲気を作り上げるのに役立っている。けして派手なアクションがあったり、心躍らされる展開があるわけではないのに、観賞後にはまた見たいと思える作品だった。サントラは必ず買う、DVDも出たら恐らくは買ってしまいそうだ。

 最後は、冒頭と同じく最後のロチェスターのモノローグで終る。

 「これでもまだ私が好きか?」

 手にしたワインを口にしてブラックアウトしていくロチェスターの姿、その台詞がとても悲しくて泣けた。

2007年3月19日

『理由』

理由 特別版

(2004年 日本)監督:大林宣彦
http://www.wowow.co.jp/stock/riyuu/

 もろもろの多忙も少し落ち着きが見え始めた。今夜はDVDを見る余裕があったほどだ。DVD見るのは何週間ぶりだろう。映画館も久しく行く余裕がなかった。

 キムチから借りた「理由」をDVDで鑑賞する。
 かつての下町・荒川区の高級マンションで起きた一家四人殺人事件を主軸に、総勢107人の登場人物による証言で構成されている。この107人を演じた役者陣が豪華で、これだけの面子を集められたのも大林宣彦ならではだろう。内容は107人という人数に混乱することもなく、ミステリーの真相に向かってぐいぐいとストーリーに引き込まれる。ところどころにいわゆる「大林臭さ」が漂っているので、そこで好き嫌いが別れるかもしれないけれど。
 宮部みゆきによる原作も面白そうなので、読んでみたくなった。

 「理由」の余韻が残っているにもかかわらず、就寝前には先日から再読していた「アルジャーノンに花束を」を読了する。初読は10年以上前か。
 初読のときと同じように、「同じような題材なら、映画“レナードの朝”の方が好きだな」という感想を持つ。“レナード”は実話だしね。デ・ニーロだしね。

2007年4月 9日

真救世主伝説「北斗の拳」ラオウ伝 激闘の章・完成披露試写会

 チケットをいただいたので、「北斗の拳」の映画試写会に行った。
 会場は九段会館で、いつぞやハリー細野先生がソロライブをおこなった会場だ。あの時は楽しかったなあと思いつつ、開演ぎりぎりに到着した。

 まずは応援メッセージということで、一部で有名な「DJラオウ」が海洋堂の1/1フィギュアを使ったバージョンが上映される。原作者の見ている前ですごいなあ。HotPepperとのタイアップしかり、近年の「北斗」関連は、どんどん突っ走っている気がする。

 次に舞台挨拶ということで、原作者のお二人とプロデューサー氏が登場する。プロデューサー氏がおっしゃるには、完成披露試写会と銘打ちつつ現在も修正作業中であり、手直しする箇所は250カットもあるらしい。すごいねー。
 個人的にはあまり顔出しをしない原哲夫さんを拝見できたので嬉しかった。

 そして本編。
 ケンシロウ役のアベちゃんはがんばっていた。ラオウの宇梶さんもがんばっていた。ケンシロウの台詞の第一声が「はーい」というのもアリでしょう。ところどころ、作画が乱れまくっていたのも、修正作業中ということで寛大になりましょう。

 だがしかし。
 上映中、大幅にストーリーが飛んだかと思った瞬間に画面は暗転し、音も途切れる。3分ほど待ったのち「フィルムを1ロール飛ばして上映してしまいましたので、再度正しい位置から上映します」といったようなアナウンスが流れた。こんなの初めてで驚いた。しかも、再上映が始まってからも、中断前には上映されたのに再上映では抜けているシーンがあるし。関係スタッフは反省文モノかしらと心配になってみたり。

 総合的には原作ファンに向けて作られた映画という色が濃かった。そして、恐らく原作でもっとも人気のあるシーンの映画化なので、これをちゃんとやらないと5部作の残りの2作の成功は危うそうだ。
  4/28の公開を目前に、スタッフの皆さんは今現在も修正作業を続けられているのだろう。無事に、「我が生涯に一片の悔いなし」と言えますように。

2008年5月 2日

『once ダブリンの街角で』

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(2006年 アイルランド)監督:ジョン・カーニー

公式サイト:http://oncethemovie.jp/

 近所の小さな映画館にて『once ダブリンの街角で』というアイルランド映画を鑑賞する。
 穴の開いたアコギで歌う男と楽器店の店頭でピアノを弾く女が、音楽を通じて恋に落ちるけれど、それぞれのパートナーとやりなおすために再出発するというお話。

 40歳を目前にした主人公は、掃除機修理の店を営む老いた父を手伝いながら、時間を見つけてはダブリンの路上で歌っている。昼はメジャーな曲を演奏するが、夜は別れた恋人をモチーフにした自作の曲を歌う。
 ある夜、主人公に声をかけたのはチェコ移民の若い女だ。出稼ぎでアイルランドに来ている彼女は、花売りや家政婦の仕事の合間に楽器店のピアノを触ることだけが楽しみだった。
 最初は彼女をいぶかしんでいた主人公だが、彼女と音楽を作ることが喜びとなっていく。二人はお互いに恋するようになるが「無意味よ」という彼女の拒絶によって友人関係を維持している。主人公は別れた恋人とやりなおしたいし、彼女は幼い娘と別居している夫がいるのだ。二人の作る音楽は、一貫して別れたお互いのパートナーを歌っている。
 彼女によって勇気づけられた主人公は、一念発起して別れた恋人のいるロンドンに行くことを決意する。自分の音楽を売り込むことと、別れた恋人とやりなおすためだ。
 移民の女は淋しく思いながらも彼を祝福し、自分も夫を呼び寄せて再出発することにした。主人公が旅立ったあと、移民の女の家にはピアノが届く。それは中古だけれど、主人公からの感謝と愛情のしるしだった。

 アイルランド人にとって、音楽は特別なものではない。苦楽に関わらず生活の場所には常に音楽が存在しており、自分たちが仲間であることを再確認するものである(沖縄と似ているように思う)。なので、主人公が別れた恋人への想いを音楽で吐き出すのは自然なことなのだろう。恋人との別れと母の死が、彼をダブリンの実家に戻した。
 一方、女にとっての音楽は、幸せな頃の象徴だ。かつてオーケストラでヴァイオリン奏者だった父は、手の故障を悲観して自殺してしまった。父が彼女に残したものはピアノの手ほどきだけで、彼女は幼子と母を連れて遠くダブリンまで出稼ぎにやってきた。
 二人に共通するのは、死んだ親と別れたパートナー、そして音楽だ。音楽的に意気投合し、けして音楽だけで生きてはいけないけれど、音楽の存在が二人を慰めて勇気づける。

 主人公はロンドンに行っても音楽的に成功はできないだろうけれど、別れた恋人とはうまくやりなおせるだろう。移民の女は夫と母と4人で幸せな家族になれるだろう。

 私はダブリンに行ったことはないけれど、映画の中の街並はロンドンのそれと似ていると思った。
 移民コミュニティや労働者階級の生活描写も興味深いものだった。フラットに1つしかないTVを見るために近所の人が集まって来たり、英語をほとんど話せない母親など、観光では見えない生活がそこにある。

2008年5月 3日

『ロンドン・ドッグス』

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(1999年 イギリス)監督:ドミニク・アンチアーノ、レイ・バーディス

公式サイト:http://www.asmik-ace.com/London/
予告編:http://www.youtube.com/watch?v=oybfiOGc_PY


 レンタル屋でたまたま見つけた一本。ジュード・ロウが出演していることと、タイトルに入った「ロンドン」の文字が気になった。

 郵便配達夫が憧れのギャングに転職して理想と現実に苦しむコメディ映画である。
 退屈な毎日に飽きた主人公のジョニーは、幼なじみでギャングの若頭・ジュードに自分も仲間に入れてほしいと頼み込む。ジュードの伯父は北ロンドンのギャングのボスで、渋々ジョニーの加入を認める。
 憧れのギャングになったジョニーだが、自分の結婚式と趣味のカラオケで頭がいっぱいのボスや、夫婦のセックスライフについて悩んでいる部下など、想像していた"刺激的"な生活と違っていることにいらだちを覚えはじめた。
 ある日、ジョニーは南ロンドンのギャングからコカインを盗むことに成功し、南ロンドンのボスを激怒させる。ジュードや北のボスは事を穏便に納めようと努めるが、ジョニーはおかまいなしに南ロンドンを挑発し続ける。ついに南北の対立は銃を使った抗争に発展してしまう。

 理想と現実のギャップには誰しもが苦悶させられるものだが、「ギャングになりたい郵便配達夫」と「田舎で農場をやりたい北のボス」との温度差が対照的で面白い。
 刺激を求めて過激になっていくジョニー、彼を制止しつつおいしいところはちゃっかりネコババするジュード、うんざりしながらも巻き込まれていく南北のボス、それぞれの思惑が絡まり合って、物語は皮肉な結末を迎える。

 劇中、随所にイギリス映画らしい皮肉ったギャグと下ネタがちりばめられており、そのばかばかしさゆえに結末が引き立っている。

 ジョニーを演じたのはジョニー・リー・ミラー。どこかで見た顔だと思ったら、『トレイン・スポッティング』で"シック・ボーイ"を演じていた役者だ。
 ジョニーやジュードをはじめ、出演する俳優の名前と役名が同じなのは、アドリブをやりやすくするためだそうな。

 個人的には南北ロンドンの違いを再認識できて面白かった。
 北部は"江戸っ子"のように昔からのロンドン子でコックニーを話し、アングロサクソンやユダヤ人が多く、良くも悪くも古くさい。南部は有色人種や地方の人間(ウェールズ人など)や移民が混ざっていて雑多な印象を受けるが、スタイリッシュでモダンな印象である。そして、南北は大小かかわらず対立意識を持っている。
 なるほど、英語学校で聞かされたり、実際にロンドンで見聞きしている傾向そのものである。

 原題は「Love, Honour and Obey」で、直訳すれば「愛と名誉と服従」といったところ。ベタなタイトルも、冒頭の出演者一同によるダサいリレーカラオケも、結末を知ってしまうと感慨深いものだ。
 イギリスやロンドンを愛する人には楽しめる一本である。オアシスによる主題歌も良いよ。

2008年5月10日

『プリシラ』 The Adventures of Priscilla, Queen of the Desert

プリシラ
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(1994年 オーストラリア)監督:ステファン・エリオット

 舞台はオーストラリア。3人のドラァグ・クイーンがカジノでショーに出演するためにバスで砂漠を横断するロードムービーである。プリシラというのはバスの名前である。長年、見ようと思いつつ機会が無かった映画だ。

 期待に違わず魅力あふれる映画だった。まず目につくのが、ビジュアルの美しさである。きらびやかなメイクと衣装だけでなく、その背景にあるオーストラリアの真っ青な空と砂漠の対比が美しい。メイクも衣装もとても独創的で、衣装デザインで賞も取っているんだそうな。
 バスの屋上に巨大なハイヒールを設置し、その上に座って高らかにオペラを歌うシーンは歴史的な名シーンのひとつだと言えよう。ピンクのバスの屋上にはシルバーの巨大なハイヒール、全身をぴったりと包みながらきらきらと輝くボディスーツ、背後には20m(!)はあろうかという銀色の巨大な三角旗がはためいている。薄く柔らかな布が、バスの向かい風でひらひらと先端までたなびく様は、ため息が出るほどに美しくて衝撃的だった。
 後半に登場する一連のショーのシーンも、オーストラリアの名物をモチーフにした衣装で、ニヤリとさせられる。もはや、女装とか、過剰な"女"の演出とか、そういうのを超えてアートの領域に入っていると言えよう。
 こうして見ると、オーストラリアの自然は独自性があり、この地で生まれ育った人の美意識や色彩感覚に大きな影響を与えていることがうかがえる。アボリジニ文化も影響してるだろうしね。同じくドラァグ・クイーンの映画である『ヘドウィグ・アンド・アン・アングリー・インチ』とは違った空気をかもしだしているのも当然だと納得できた(ヘドウィグは冷戦後の旧東ドイツ出身という設定なので、なんだかじめっと重い)。

 良かったのはビジュアルだけではない。旅の道程で、世代も気質も違う3人の内面が少しずつ明かされていく様がしんみりとさせられる。
 異世界の住人に見えるかれらも"普通"の格好をしている人たちと同様に、悩んだり生き方に戸惑ったりしているのだ。偏見から暴力をふるわれたり、ののしられたり、それでもドラァグ・クイーンという生き方を選んだ自分を捨てるわけにはいかず、深い空気をかもしだしている。

 シリアスな部分もあるのだけれど、ラストはからっと明るいので、後味が気持ちいい。きっと、個人的に何度か見直してしまうんだろうなぁ。

追記:
 『ヘドウィグ......』しかり、この映画もミュージカルとして舞台化されている。衣装も映画と同じデザイナーが手がけているそうなので、日本で上演される機会があれば見てみたいものだ。