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2004年10月22日

Macromedia Flash Conference 2004@セルリアンタワー東急ホテル

初めてFlaConに参加し、朝から夜までてんこ盛りな内容に頭がパンクしそうだ。

主な目的は二つ。

『サモロスト』が爆発的な人気になったチェコのJakub Dvorsky氏の講演。
http://nlp.fi.muni.cz/~xsvobod4/amanita/samorost/intro.html

もうひとつはshockwave.comで公開されている『或る旅人の日記』の作者の方の講演。
http://jp.shockwave.com/animations/tabibito/tabibito.html

Jakub Dvorsky氏はここ1年ぐらい私のwebアイドルだったので、本人を見ることができて嬉しかった。驚くことに『サモロスト』は氏の卒業制作で、本人はなんと26歳だそうで。世の中にはすごい人がいるものだ。チェコはもともとオブジェクトアニメーションのメッカで、元々こういった「キャラクターを動かす」ことについては秀でている。本人も講演の中でヤン・シュヴァンクマイエルの名前を出したりしていた。面白い造形の樹木などはすべてフォトコラージュで、Jakub氏が近所の公園で撮影したものだとか。ほかにも最新作となるミュージックビデオクリップを見せてくれたり(これもステキでした!)

講演最後の質問コーナーでは思わず手をあげて質問してしまう私。

Q:FLASH内に仕込まれている各種パズルやギミックは絵コンテ段階ですべて考えてあるのですか?
Jakub:そういうこともあるけど、時によりけりです。FLASHにしてから考えることもあります。

そしてさらに講演終了後にサインをもらいに行く私。あぁ、ミーハー。
少しだけお話しもできて、英語勉強してて良かったと心底思ったのだった。あぁ、幸せ。ついでに自分のイラストのシールと名刺押し付けてみたり。「これ君の絵?いいねー」と言ってもらえたので嬉しいことこのうえなし。

続いて、(株)ロボット所属の「或る旅人の日記」の作者・加藤氏のメイキングなど。サモロストJakub氏もそうなんですが、このお二人は絵と動画がすごくお上手。加藤氏はきっと美大の学年に一人か二人いる、とびきり絵が上手いタイプの人なんじゃないでしょうか。地道に根気よく動画用紙に作画される様は職人にして芸術家といった印象で、天才型絵描きではない私はうらやましく思った(天才型の人はさささっと正確に人や物の形をとれる)。

ほかにもいくつかセッションを受講したが、そちらは割愛。いずれにせよ、今後FLASHはどんどん細分化されていきそうな気配を感じた(今でも結構そうだけど)。プログラミング、アニメーション、インターフェイスデザイン、色々と「餅は餅屋」になっていくんだろうね。どこかに私も引っかかっておきたいと強く感じた。

2004年10月28日

自分という存在は作品と同化できるのか

8:00pm過ぎに寝たせいか、きっちり8時間後の3:00amに目覚めた。

すっきりした頭でぽつぽつ仕事中。
BGMは「VirginRadio」が不調なので、ひさびさに普通の音楽。 未エンコだったミュージカル『CATS』のCDをエンコしつつ聞く。
ちなみにオリジナルロンドンキャスト版で、サラ・ブライトマンがグリザベラ役のものだ。

小学生の時に劇団四季の『CATS』を見たのが最初で、以降18歳〜21歳の間にニューロンドンシアター@ロンドンで合計3回ぐらい観たような。18歳の時はすごく感動したんだけど、21歳の時はなんだか子供っぽく感じて残念だった記憶がある。

でも、毎回CATSを見る度に感じたことがひとつだけ。
「舞台の上に立てれば、自分が作品(もしくはその一部)になれる」

CATSは基本的にストーリーは無くて、ダンスと歌で構成されるミュージカルであり、出演する「ダンサー/歌手/役者」は、当然ながら踊って歌えて猫の演技ができる人たちだけ。舞台装置や衣装や楽曲や伴奏の力もすごいが、出演者はそれらの魅力を最大限に活かす力を持つ人たちなのだ。出演者がヘボかったら、なんぼ周囲がスゴくてもあかんでしょ?

舞台装置を作っても、衣装をデザインしても、楽曲を作曲しても、音楽を演奏しても、それは「作品を作ってる」ことにはなれど、自分自身の存在が作品になれない

日本の劇団四季と異なり、ロンドンのミュージカルは生演奏が原則なので、そういう意味ではオーケストラも作品の一部といえるかもしれない。が、狭義では「演奏をする」=「楽器を使って音/音楽を生み出す」だと思うので、自分自身が作品と同化しているとはいえない(余談だが、日本を拠点にしているカンパニーで、唯一生オケを使用している劇団がある。どこあろう、宝塚歌劇団なのです。結構知られてない事実でしょ?)。

ミュージカル/芝居/ダンス等で舞台に立てる人は、自分自信が作品の一部として存在できる。なんと羨ましいことなのだろう。浅ましい私としては、ついつい羨んでしまう。しかも頻繁に。

もともと、ジャンルを問わず音楽のパフォーマンスを見る度に、「ライブパフォーマンスできる点で、音楽は美術に勝ってる!悔しい!」と見当違いの嫉妬を抱いていたが、舞台芸術の出演者に至っては烈火のごとく激しく嫉妬の炎を燃やす。あぁ、憎たらしい。

シュルレアリスムの巨匠サルバドール・ダリ先生に、こんなエピソードがある。
幼きダリは通学路の前方に、ヴァイオリンケースを持った少年を発見する。そこですかさず、彼のヴァイオリンを奪い、メチャクチャに踏みつぶして壊してしまうのだ。もちろん、先生に叱られるわけだが、そこでのダリ先生の言い分がかっこいい。

「美術が音楽よりも勝れていることを物理的に示したのです」

ダリ先生の気持ちはわかるような気がする。多分、ダリ先生も音楽への嫉妬があったのではないだろうか。私だって、『CATS』の舞台に石投げ込みたかったもの。……ウソです。素直に感動していた。降参の白旗を振っていた。嫉妬で攻撃した時点で負けです。

たまにこんな話題をKにもちかける度に、比較することがナンセンスだと一蹴されてしまう。理性の面では自分でもアホらしいと思うのだが、でも!でも!感情は許せないのだ。

いつかは、自己評価で『CATS』と並べるような作品(デザインでも絵でも漫画でも)を作りたいものだ。自分が作品にはなれないけど、作品は自分の一部でもあるわけだから。

2004年10月31日

永吉克之個展@麻布十番・ギャラリーカフェバー縁縁

先月から開催されている永吉克之さん(http://www2u.biglobe.ne.jp/~work/)の個展のオープニングパーティーに、Kと二人でお邪魔してきた。永吉さんにとって東京での個展は二度めとなる。ちなみに永吉さんは京都精華大学の大先輩でいらっしゃる。

場所は麻布十番のギャラリーカフェバー縁縁(http://www.enyen.jp/)。大江戸線の駅を降りたら、お約束の「ももんがー、ももんがー♪(C)はっぴいえんど」を口ずさみながら会場を目指す。ほどなく到着した「ギャラリーカフェバー縁縁」は、こじんまりと広すぎず狭すぎずの素敵な土壁のお店で、居心地のいい場所だった。

永吉さんの新作は総勢11点。噂には聞いていた『うなぎ』の絵もこっそり飾ってあって嬉しい。
新作はご本人もおっしゃっていたように、今までとモチーフの雰囲気が異なっているのに永吉ワールドは保たれており、作者のパワーを感じるものだった。

個人的には『倒幕の予感』の“さむらいくん”に一目惚れしてしまい、GIFアニメかFLASHでカクカクと動かしたい衝動にかられてしまった。また、『“F”の位置』をMacの壁紙にして一日中眺めたくなってみたり、『市民生活の基盤を破壊する男』は玄関に飾りたくなるほどだった。

私家版でもいいので、いずれ作品集を作っていただきたいと思うのは私だけではあるまいて。ぜひ紙媒体での出版を希望したいところだ。

会場では、FLASHの巨匠・サブリン氏(http://www.saburi.com/)にやっとお会いできたり、Kもファンである某氏に会えて喜んでたり、楽しい夜だった。もちろん、永吉先輩も楽しそうでよかった、よかった。

追記:
縁縁は、食べ物もとてもおいしかった。女性好みなメニューと味付けで、ついつい意地汚く食べまくってしまいました。こんなところで私も個展やりたいなぁ。

2004年12月20日

サイケデリック

精神科医ハンフリー・オズモンドによって作られた言葉。
「サイコロジー」+「デリシャス」の意で、LSDによる幻覚を指すとサイケデリック体験ゾーンの壁には書かれていた。
一説によると、ギリシャ語のサイケという言葉と、デ・ロスという言葉を組み合わせているという説もあるが、私にはどちらが正しいのかはわからない。

先日日本橋のDIC COLOR SQUARE(大日本インキが運営するギャラリー)に行き、「ザ・ビートルズ その時代と色彩」展を見てきた。

ビートルズが黄色い潜水艦で極彩色の世界を泳ぎ、空に輝くルーシーちゃんの歌を歌ったのは1968年。それからほどなく日本では“はっぴいえんど”が「はいからびゅーちふる」と歌い、TVでは「モーレツからビューティフルへ」とCMがつぶやいた。それから一呼吸おいて私が生まれた1974年、すでにその頃にはサイケは息も絶え絶えで去り行く文化だったのだろう。

前述の展覧会では「モノクロから極彩色へのトランスファー 世界と日本の1961 - 1970」とサブタイトルを銘打って、ビートルズをキーワードとしてサイケについての展示が行われていた。

会場内の「サイケデリック体験ゾーン」の壁に貼られたカルチャー分布図のようなグラフを見て、サイケはアール・ヌーボーにも通じていたことを知った。18〜20歳の頃、私はアール・ヌーボーに大ハマりし、そこから逆輸入というかたちでジャポニズムにまで傾倒していった。恥ずかしながら、それ以前の私には日本の伝統的な美術・デザインの良さがわからなかったのだ。

60年代に生まれてなかったんだし、70年代前半の終わりにやっと奈良の片田舎に出現できた私は、サイケデリックというものを同時代で体験できなかった。しかし、私の母という人はサイケもビートルズも謳歌した人で、遺伝子レベルでその趣味嗜好は私に受け継がれている(ちなみに顔もよく似ている)。事実、母がくれた数々の画集は今でも私の宝物となっている。

さて、そんなわけで。今まで「ラリったカルチャーでしょ」と思っていたサイケデリックだが、こうして対面してみると、なんとも魅力的なものであったことに気付く。アール・ヌーボーから続く有機的で美しいかたち、そこにプラスされる幻覚的なハレーションあふるる色彩。音楽と密接に結びつき、時代の先端のカウンターカルチャーであったサイケデリック。なんて溜め息が出るほどにステキなんでしょう。以前、グラムロックについて知った時もそう思ったけれど、サイケは私が思っているほど軽率なものではなく、キレイなものだったのだ。

帰宅して、ちょうど絵の仕事があったので、早速サイケデリックを取り込んでみようとした。そういえば、今までも絵を描く時に固有色を無視して描くのが好きだったっけ。これも内なるサイケの遺伝子なのか。

だがしかし、悲しいかな“サイケデリックな色彩”を自分で生み出すことに身体が拒否反応を起こすのだ。基本的に同系色、せいぜい補色対比程度しか色を操れなかった私には、なかなかにサイケデリックな画面を作るのは難しかった。もう少し、もう少しで自分の中の「マトモギブス」をはずせそうなのだけど。変なの大好きなのよ。変なの作りたいのよ。でも、変だけじゃいやなの。変でキレイなものが作りたいの。までできない、まだ内から色が出てこない。

来年の目標に「サイケデリックな色彩を身に付ける」という項目を追加しようと思った。
あ、だからといってドラッグに手を出す気は毛頭無いのでご注意を。人生で一度も煙草を吸ったことが無いのが自慢なのでね。

2005年1月25日

ビアズリーと私(1)

オーブリー・ビアズリー(Aubrey Beardsley)は19世紀末のイギリス人の挿絵画家です。
当時から異端と賞賛の両極端な評価を受け、『サロメ』『アーサー王伝説』『イエローブック』などの素晴らしい作品を残しながらも25歳の若さで早逝した天才です。

私の絵描き人生の中で、ビアズリーの存在はかなり重要な位置を占めており、少しいろいろと書いてみようと思います。

ビアズリーとの最初の出会いは、実はあまりよく覚えておりません。

確実に言えることは、83年に大阪で開催されたビアズリー展の図録が我が家にあったことと、母がその図録からビアズリーの肖像写真をコピーして自分のアトリエに飾っていたことでした。おぼろげにある当時の記憶によると、そのビアズリー展図録は「多毛留(作・米倉斉加年)」と並んで“なんだか怖いけど気になる絵の本”で、10歳の私は恐る恐る眺めては本を閉じたり開いたりを繰り返していました。

そして記憶は飛んで突然高校時代。なぜかすっかりビアズリーの存在を忘れていた私は美大受験生として毎週美術系予備校に通う日々を送っていました。ビアズリーとの再会はその予備校で起こります。予備校では課外授業として何度か、参考になる古今東西のいろいろな絵をスライドで見せてくれる上映会が行われました。浮世絵、水墨画から東西の油彩、少女漫画に至るまで色々な絵とその見どころを説明してくれた中の一枚、それがビアズリーの「クライマックス」でした。

絶妙な白と黒のバランス。明らかに日本の浮世絵から影響を受けた、輪郭線による描画。しばし悪魔的と呼ばれる怪しげかつ魅惑的なビアズリーの絵。アール・ヌーボーと漫画とアングラが好きだった私には、ビアズリーのすべての要素が自分の好みと合致していたことに気付きました。

記憶は一気にフラッシュバックし、予備校から帰宅した夜に本棚からくだんの図録をひっぱりだしました。母が家を出ていってから3年以上放置されていたその図録。はたしてそこには溜め息の出るような魅力的な絵が。宝の持ち腐れとはこのことで、その時以降、色々と制作に行き詰まったり悩んだりした時にはビアズリーの画集を見るクセがつきました。

文化祭のパンフレットの表紙、趣味の漫画、大学の演劇部のポスター。ビアズリーの影響を色濃く受けて、色々な絵を描きました。大学卒業後に就職した最初の会社で、デザインをやりたかった筈なのにデザインとは直接関りの無い仕事をせざるをえなかった頃も、深夜残業の合間に机に忍ばせていた図録を取り出しては花のモチーフを模写したりもしました。

若くして死んだ天才ビアズリー。
既に彼の年齢を追い越して久しいけれど、当然ながらまだまだ追いつけません。

ビアズリーと私(2)

ビアズリーで一番の思い出はなんといってもロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館(V&A)です。確か、あれは2回目の渡英、20歳の冬です。V&Aはデザインや工芸にまつわるあらゆるものが網羅された美術館で、最初に訪れた頃はもっぱら服飾の部屋“ドレスルーム”にばかり入り浸っていました。私のビアズリー好きを知っている母が一言言ったのです。
「ビアズリーならV&Aのプリンツルーム(版画室)にいっぱいあるわよ」

次の日、早速私はV&Aに出かけました。館内の案内に従ってプリンツルームに向かいます。あれれ、なんだか階段を登って展示室には見えない部屋にたどりつきました。例えればそこは小さめの図書閲覧室といった風情です。

ガラスの扉を開けて入ってすぐに受付がありました。奥には大きいテーブルがいくつも並び、その中のいくつかでは2〜3人がそれぞれ熱心に何かを見ています。太った優しそうな係員が声をかけてくれます。この部屋が一体何をする場所なのかわかりませんが、入り口には確かに「Prints Room」と書かれていました。緊張している私に受付の太った優しそうな初老の男性が声をかけてきました。

「なにかご用ですか?」
「え、えーと。あの、ビアズリー見たいんです。オーブリー・ビアズリー」

今よりもさらにヘタクソな英語知識を総動員して、ガイドの母からここにビアズリーがあると聞いて来たことを伝えました。発音が悪くて「ビアズリー」が通じず「サロメ」や「イエローブック」を例に出して作家のことを説明し、やっと「おぉ、Beardsleyのことだね」とわかってもらえて一安心。

「じゃあ、ここに名前と連絡先を書いて。その机に座って待っててね」

分厚い受け付け帳に緊張して書込む私をよそに、受付氏はにこやかに奥に消えていきました。
待つこと数分、受付氏は大きなワゴンを押してきて私の座っている机の横にぴたりとくっつけました。そしていきなり説明を始めました。

「いいかい。絵を持つ時は必ず両手で持つこと。そして見たらこのように隣に重ねて置くこと。そうそう、そんな感じに。では、ごゆっくり」

なんと、ワゴンには厚紙にマウントされた100年前のビアズリーの版画や原画が山積みになっており、私はそれを直接手にとって見ることができるというのです!
この時の感動はどれほどだったでしょうか。自分のペースで手にとって、至近距離で穴のあくほど堪能できる、それは大好きなビアズリーの世界に一枚しかない原画だったり、稀少な版画だったりするのです! もちろん、時間制限なんてありません。好きなだけ眺めていいのです。日本で、特に東京でビアズリーの展覧会が行われると必ずといっていいほど、そこは人でごったがえしています。上京してすぐ見に行ったビアズリー展でまるで絵を楽しめない芋洗い状態に激しく幻滅した私は、それ以降ビアズリーが来ても見に行く気も起きませんでした。それが今、ここでは独り占めに楽しむことができるのです!

どれぐらいそこにいたのかは覚えていませんが、たくさんあったそれらの作品を見終ってから再度二周して見たことだけ覚えています。原画には、図録では見えない鉛筆のかすかな跡があり、ビアズリーがどの線を作る時に悩んで苦労したのか、どの線を一発で決めたのかがよくわかります。寒い日でしたが、プリンツルームの中はセントラルヒーティングで暖かく、私は感動のあまり汗ばむほどでした。
お腹いっぱいビアズリーを堪能し、受付氏に挨拶をして帰ります。

「ビアズリーは楽しめたかい?」
「はい!とても良かったです」
「また、ビアズリーに会いにおいで」

ほくほくと地下鉄に乗って母の家に帰りつきました。夕食の間中、母にビアズリーの感動を話し続けたことは言う間でもありません。

母が日本に来る時に誕生日プレゼントとして100年前のビアズリーの版画をプレゼントしてくれたのはそれから間もなくのことでした。その版画は今でもすぐに眺められる場所にかけてあり、私の宝物のひとつとなっています。

2005年6月 3日

携帯サイト用ロゴ作り

携帯サイト用のタイトルロゴ制作を受注いたしまして、
ここ数日しこしこ作っておりました。

携帯なので横幅は小さくw220pxです。
しかし、ロゴなのである程度は作り込んでやりたい。

そう思いまして、Illustratorを起動いたしました。
最近のイラレは「ピクセルビュー」という便利なものがついてますので、
拡大してもピクセルの状態が簡単にシミュレーションできます。

こうかなー、こうかなーと試行錯誤。
実はあんまりロゴは得意じゃないものでね。
(雑誌やwebマガジンの記事タイトルロゴは得意ですが)

でも、なんだかうまくいきません。
横幅の狭さが窮屈でやりにくいせいか1案もできません。
あぁ、このままではいつまでたっても仕上がらない!

そして、もしかしてと思い立ち、Fireworksを起動いたしました。
ちこちこいじくっていたら、あら不思議。
ここ数日かけて1案もできなかったのに、
数時間で3案も作ってしまいました。

やっぱり使い慣れてるからかしら。
それともwebデザインだけでなく、
画面上で見るもののデザインにはFWが向いてるのかしら。

マクロメディアがアドビに吸収されてしまったら、
この愛しいFWはどうなるのかしら。
こんなにマクロメディア信者なのに。

心配で夜も眠れません。

※合併前にもう一回だけバージョンアップがあるという噂ですが。

2005年6月12日

写真で一喜一憂

先日、仕事で写真を撮ることになった。
私はもちろんプロのカメラマンではないので、素人に毛が生えた程度の実力しかない。はたして結果は悲しい状況で、もっと写真の腕を磨きたいと痛感させられてしまった。もう、現像があがってきたその日は仕事が手に付かなくなるほどのショック。しばらく、目につくありとあらゆる写真を見ては自分の写真の腕を呪ったものだった。

さて、昨日別のフィルムを現像に出してきた。ロシアのカメラ・LOMO(LC-A)に入りっぱなしになっていたロールで、今年初頭〜春にかけて撮影していたヤツだ。

050612flower.jpg

050612flower2.jpg

また辛い気分になるんじゃないだろうかと悲観しながら写真を見ると、そのなかに奇跡の一枚と呼べそうないい写真があった。

それは、我が家の居間で撮影したヒヤシンスの写真。西友で特売になっていたヒヤシンスがきれいに花をつけたので、嬉しくて撮った写真だった。春先で、ヒヤシンスに日光浴をさせようとレースのカーテンの向こうに鉢を置いた。逆光が美しかったので写真を撮った。カーテンの目にピントもばっちりで、いい加減なLC-Aのピント設定でここまでできるとは奇跡に等しい。私の写真の腕からすればなおのこと。

こういうことがあるから写真は面白い。いずれ何かの機会に仕事の素材として使ってやろうと企む私。なので、大きい全体写真は載せません。ディティールだけ見てやってくださいまし。

2005年6月30日

ホネホネが好き

最近スキを見つけては女の裸体ばかりラクガキしている。
なにをいまさらという感じだが、ようやく私も骨の構造について勉強する気になったのだ。

脳内の骨格と実際の人間の骨格の違いに驚く。
アバラは上に向かって先細りしているし、腰骨とソケットの関係も開眼だ。

学生時代、当然ながら美術解剖学の講義はあったが、私の専攻がデザイン科ということもあって必修ではなかった。上級生から、「美術解剖学は毎回イラストロジックが出席代わりだ」と聞かされた。いまだによくわからないのだが、そういえば当該授業の午前中の実習室でイラストロジックに没頭する同級生の姿をよく目にした。

今思うととても後悔している。どうして私は美術解剖学を取らなかったのか。日本美術史を取らなかったのか。私はそれよりも演劇にうつつを抜かしていたのだ。宣伝美術とメーキャップが私の担当だった。Kともそこで出会った。Kは音響担当だった。

閑話休題。骨がわかってくると、自分の体を観察するのも楽しい。あちらこちらに体を動かして、骨をさわる。肩を上下すると鎖骨が動くこともよくわかる。もう少し柔軟性があれば、いろいろと面白い角度で遊べるのだが。

鏡で見たり触って確認するのにも限界が出てくると、今度は骨格標本が欲しくなった。
ボーニーちゃんを買って制作したいのだがKに反対されている。160cmのペーパークラフトは置き場に困るというのだ。押し入れにでも突っ込んでおけばいいと思うがいたしかたない。科学博物館かどこかに行けば机上サイズの骨格標本が売っているのだろうか?

ひとまず、来月になったら美術解剖学の骨格の本を買おう。下記サイトが役に立つが、いかんせんweb媒体だと見たいときにすぐ見られないのが歯がゆいから。あんまりラクガキ帳が女体だらけになると恥ずかしい気もするが、やはり男性の裸体より数倍女体の方が描いてて楽しいので気にしないようにしている。

ちなみに豊満な女体よりもスレンダーでホネホネした女体の方が好み。

●人を描くのって楽しいね
http://www.asahi-net.or.jp/~zm5s-nkmr/

2006年1月31日

愛のアレゴリー

英語学校の日、今日も先生はJames。
ひょんなことから、TVでCMを流しまくっている大手英会話学校の話題になるが、それについては割愛。イギリス人らしい皮肉にあふれた言い方はとても楽しい。それ以上書くといろいろ問題ありそうでね。ただ言えることは、たくさんの広告費はいったいどこから捻出されているのかということだ。

さて、先週の予告通り、手持ちの画集を持参。私が選んだ絵はブロンズィーノの「愛のアレゴリー」。ロンドンのナショナルギャラリーに収蔵されている絵で、大好きな一枚。

エロ大好きなフランス国王・フランソワ1世に献上されたこの絵。図像学的なパズル要素も満載だが、なにせ絵そのものがエロい。そのせいか、ナショナルギャラリーでも人気があり、いつもちょっとした人だかりができている。

さすがは古典絵画、教科書に載っていた変な現代絵画よりはよほど面白く、昔の人は変な絵を描いて楽しんでたものだなとニンマリする私。

古典絵画は題材云々以前にきちんとした描写力が備わっているのが見ていて安心できる。その上で、この絵みたく、興味深い題材ならば最高だ。そういう意味で、図像学的に楽しめる絵は大好きだ。

興味のある人は「愛のアレゴリー」で検索するといろいろと解釈がでてくるのでオススメです。

bronzino_amore01.jpg

2006年2月19日

恩師の退任 その1

学生の頃、私の所属するデザイン専攻の学生は1学年60人ほどだった。

2回生(関西では学年を表すのに○回生という)までは学籍番号順に半分に分けて色々な分野のことを少しずつ学ぶ。1回生はデッサン、立体、デザイン。2回生からは映像、写真、版画・印刷、レタリング、などなど。

3回生になるとそれぞれ専門分野に分かれることになる。それまで30人1クラスだったのが、10〜20人のゼミ(=デザイン実習のクラス)に分かれる。ビジュアルアート&デザインに20人、プロダクトグラフィックデザインに20人、映像と写真にそれぞれ10人。この頃になると退学及び留年組が数人出ているので、実際の学生数は上記より少ないが。

私が所属していたのはビジュアルアート&デザインのゼミ。教授はタカ先生とツボ先生。両先生はA教室と呼んでいた。そう、通常のゼミは教授一人に学生10人なのだが、なぜか映像と写真以外の二つのゼミは、教授二人で学生20人の合体型ゼミだった。プロダクトグラフィックデザインにも、もちろん先生が二人いらした。

さて、私のゼミ《Aクラス》はよく言えば自主性を重んじる、悪く言えば野放し放任。そして先生達の個性も強烈なものだった。私はタカ先生もツボ先生も尊敬していたが、やはりゼミ長とも言えるタカ先生が大好きだった。

3回生の時、演劇部でポスター作りやらメイクやらに没頭していた私は、はっきり言ってヤバい状況だった。午前中の専門講義はおろか、午後の実習にもロクに出席せず、一人暮らしの狭いコーポと部室を往復する毎日だった。

その日は、そろそろやばいなあと思いつつも、荷物を取りに行ったりする関係で実習室の前をうろついていた(美術学部生の特権として、一回生の時から個人ロッカーを支給されるのだ)。とっくに実習の時間は終了しており、実習室に残っていたのは雑談しているクラスメート数人だけだった。

「なあ、今日の課題なんやったん?」
「あ、有ちん。今日のはビデオ見てそのイメージから絵を描くってやつやで」
「ビデオ!?それ見んとやるのって無理?」
「うーん、無理やろなあ。紙も先生が用意しはったヤツやし」

それはさすがに捏造できないなと困りながら廊下に出ると、そこには研究室から出て来たタカ先生がいらした。

「ゆぅちゃぁ〜ん、最近実習来てへんやんか。あかんなぁ」

生粋の京都弁で、笑顔だが眉をしかめるタカ先生。申し訳なく思う私。タカ先生に必死で言い訳した。学校には毎日、それこそ日曜でも来ていること。演劇部の公演が目前に迫っていること。自分が宣伝美術とメイクを担当していること。などなど。

「ほぅか〜。そんなら学校には来てるねんな」

すかさず縦に首を降り続ける私。

「学校に来てるのは文化を作ることやから、それやったらかまへん」

そして、翌日に実習室に来るよう時間指定まで出して、先生は去って行った。本来は実習が無い日だが、私のために実習の用意をしてくださると言うのだ。

翌日、もちろん私は準備万端で実習室へ行った。タカ先生がわざわざ別の部屋から持って来てくれたビデオモニターには、ジョルジュ・ドンのボレロが映し出されていた。渡されたのは五線譜を模した紙と、課題説明のレジュメだった。

「ええか?僕はずっとおられへんけど時間になったら来るからな。課題仕上げときや」

課題はジョルジュ・ドンを見て、音楽を聞いて、それをフィンガーペイントで五線譜に表現するというものだった。実は正直その課題意図もどんなモノを仕上げたかも覚えていない。どうせ、きちんとレクチャーを聞く機会を逃していたのだから、恐らくは課題意図も汲めずにイマイチなモノを仕上げたのだろう。それでも、課題を回収に来た先生は「やることが大事」と言って課題を受理してくれた。

まあ、一事が万事そんな具合で、《Aクラス》の学生はそれぞれに好き勝手なことをやりつつも、ちゃんと単位をもらえていたように思う。先生達は意思を見せる学生には寛容だった筈だ(少なくとも私の知る限りは)。生意気にもスランプに陥った学生にも、それを責めることなく「まあ、がんばりや」と見守ってくれたものだった。

2006年2月20日

恩師の退任 その2

そして、時には学生達と一緒になって馬鹿な遊びをしたものだった。

実は我が《Aクラス》には代々伝わる畳サイズの鉄板がある。それは焼き肉や焼きそばを作るためのもので、コンクリブロックを積んだ足場に載せてそのまま加熱するのだ。思い出せる限り少なくとも2回は実習室で焼き肉&焼きそばを作って食べたし、貴船の山奥の沢で焼き肉をやったこともある。そういえば、先生たちが音頭をとって、みんなで福井県の若狭湾の民宿まで海の幸を堪能しに行ったこともあった。

実習室は当然ながら火を扱うことを想定されていないので、天井に火災報知器とスプリンクラーが設置されていた。4回生になると、校舎3階の天井の高い実習室を割り当てられるので、それらの警報機関連もとても高い天井にあった。今思うとそこまでして実習室で焼きそばやらんでもという感じだが、男子学生がどこからか脚立を持って来て、それら警報機をビニール袋できっちり密封していた。

繰り返すが畳サイズの鉄板なので、投下される焼きそばの麺も数玉では済まない。推定20玉の麺とそれに相当する肉と野菜を投下すると、鉄板の上はそれはものすごいことになったものだ。つまり、菜箸なんぞでは混ぜられない巨大なそばの塊になってしまうのだ。

そこで我々はどうしたか。これも代々伝わる秘伝のツールを使う。
それは何かといえば、巨大なシャベルだった。

雪かきや、塹壕掘りに使うような大きいやつである。それを両手で持って焼きそばをかき混ぜるのだ。麺が切れるとか不潔とかそんな野暮なことを言う学生はそもそもこの場にいない(四条河原町や北山あたりでオシャレに遊んでいただろう。ちなみにシャベルはきちんと洗って専用のものが用意してあった)。もう、端から焦げはじめているくせに絡まる麺の頑丈さとか、鉄板を熱し続ける巨大コンロとか、熱による上昇気流でグシャグシャと音を立てる天井のビニール袋だとか、誰のものだかわからないフタの空いた缶ビールの山だとか、得体のしれないツマミだとか、なぜか赤ら顔でスケボーに乗ってひっくり返る学生だとか、そういうのが興奮を呼び、意味も無く全員が焼きそばの完成を執拗に今かと待ちこがれていたのだ。

混ぜるのは大変に力が必要で、かつとても疲れるので交代で混ぜた。もちろん私だって混ぜた。急がないとソースが焦げるので、スピードも要求されるのだ。その焼きそばのおいしいことと言ったら!4回生がメインだが下級生も数人混ざっており、もちろんタカ先生もツボ先生もいらして、最高に楽しかったことを覚えている。

2006年2月21日

恩師の退任 その3

小学校から高校まで、私は自分の所属していた教室やホームルームにさほど愛着を持ったことは無かった。しかし、《Aクラス》は大好きな場所だった。ゼミ仲間の数人とは今でも年に数回は必ず我が家で鍋を囲んでいるし、活躍しているゼミ仲間の話題を聞くたびに嬉しく思う(そして、少しだけ羨ましくて嫉妬する)。タカ先生とツボ先生は大好きだし、それがそのまま母校である大学への愛校心にもつながっている。

自分の母校を愛せることは幸せだ。私の愛する《Aクラス》にいた学生の全員が、先生たちやゼミへの関心・愛情を持っていたわけではない。私ですら《Aクラス》のすべてを肯定して愛せるかというと、そうではない部分もある。でも、それ以前以降の人生と比べて鑑みるに、やはりあの場所とあの面子とあの時間は大好きだったとしか表現できない(それは所属していた演劇部にも言えることだ)。そして、そうやって自分の人生の4年間、しかも20歳前後の重要な時期を過ごした場所を懐かしく愛しく思い出せることは貴重なことだと思える。

さて、そんな大好きな場所だった《Aクラス》だが、この春をもっていよいよ無くなることが決定したようだ。二人いらしたゼミの教授、タカ先生とツボ先生。少し年長のタカ先生がいよいよ退任されることになったのだ。

そのニュースを聞いたのは去年の冬。我が母校でなぜか評議員をやっている実父からだった。それまではなんとなく、《Aクラス》は永遠に存在しているような気がしていたがそんな筈もなく。

そして今日、一通の白い封筒が届いた。きれいにデザインされたその封筒は、タカ先生の退任に合わせて行われる大同窓会への招待状だった。“大同窓会”というネーミングはとても《Aクラス》らしく、私は懐かしさににんまりしつつ、その招待状の文面から《Aクラス》は25年間開講されていたことを知る。25年間も、そして25年間しか、とその時間について感慨を覚えた。

会場は東京・神宮前のレストラン。我が母校は京都の山奥にあるのだが、なぜ東京で“大同窓会”なのか。それすらも《A教室》らしい理由がある。ゼミ生の就職について、先生達は常々「デザインをやりたければ東京に行け」と発破をかけていた。ゼミの方針として、積極的に学生を東京に送り出していた。

「京都で始めたら最初の“そと”は大阪、次は東京やろ。
 でも東京で始めたら最初の“そと”は世界やで」
「京都でデザイン言うたら笑われるで」
「京都には歳取ってから帰っておいで」

そんなん、先生そこまで京都を卑下せんでもええやんか、と奈良出身の私は憤慨したものだ。だがしかし、東京に来てみると悲しいかな、世の中は東京中心に回っていたのだ。特にデザインやメディアはその傾向が著しく、先生がおっしゃったことを嫌と言うほど実感することになる(その論でいけば、最初から東京の大学に行けということになるがそこはあえて無視)。

とはいえ、なかなか京都の山奥から東京で就職するのは、関西至上主義の関西人たちにとっても変なプライドが邪魔したりして難しく、私の学年でも半分ぐらいしか東京には行かなかった。もちろんそれには家庭の事情だったり、伝統工芸を生業とすることだったり、デザインを仕事にしなかったりと、各々に理由があったわけだから、東京に行かなかった学生を否定するわけではない。

それでも。それでもゼミの半分は東京に行ったのだ。それはすごいことだと思う。そして、私もその一人だった。自分でも大学入学前は一生関西に住み続けると思い込んでいたにもかかわらず、同級生だった当時の恋人に「卒業したら一緒に東京に行こう」と誘われて拒んでいたにもかかわらず。私個人のケースで言えば、東京に来たことは大正解だった。今の仕事はここでしかできないだろうし、この仕事はとても自分に合っていると思うから。
※余談だが、《Aクラス》で最初にwebデザインをやり始めたのは私と同級生のイダ君の二人だ。時は忘れもしない1995年の冬。少しだけ、これは自慢。

少し話しが逸れてしまったが、来月そんな大同窓会が行われる。とても、とても楽しみだ。

《Aクラス》のお歴々はどれぐらい集まるのだろうか。タカ先生にお会いするのは何年ぶりだろうか。タカ先生は私のことを覚えてらっしゃるだろうか。ゼミの友達には何人再会できるのだろうか。

2006年6月 6日

blogのデザインについて。

現在、このblogではMTのStyle Catcherを使ってアリモノのデザインを使っている。

仮にもwebデザインで仕事してる人間が出来合いのデザイン使うっちゅうのはどないやねん、
とは思っているのだが、
なかなかカスタマイズする時間が取れない。

実は先月ぐらいからデザインをカスタマイズするべく試行錯誤していたが、
今日になってダサさに気付いたので没にしたところだ。
↓こんなやつでした。ちゃんとマークアップも完了してるのよ。

060606design.jpg

悪くはないと思うんだけどね。季節的には暑苦しいわな。
今の気分はもっとシンプルで、もっとすっきりしたデザイン。
白ベースで薄いグレーとか無彩色に紅色とか赤紫で細い線のモチーフがちょこちょこっとだけあるようなやつ。
言うは易し、実行は難し。

えいやっと気分になっちゃえば2日ぐらいでできそうな気もするけれど、
“やる気”が起きないのでしばらくは当blogもこのままで続行されることでしょう。

2006年6月18日

初明大前活動、初スカルピー

夕方より明大前活動。初参加で緊張、とはいえ初対面じゃない人達なので少し気楽。
私担当の部分はわりとサクサク決まったんじゃないでしょうか。
ドメインやらサーバーやらの申し込みも完了していい感じ。

バーミヤンで中華など食べつつ、
食後はみんなでクックロビンの準備やら。

スカルピーというものを人生で初めて触りました。
学生時代にイダちゃんがかわいい物体を作りまくってたマテリアルで、
加熱すると硬化するが、常温では変質しないので時間を気にせず触りまくれるというやつ。
↓こんなの
http://www.megaegg.ne.jp/~jets/page091.html

噂には聞いていたんですが、確かに触っていて面白い。
ちまちましたアホな物体をいっぱい作りたくなりました。
扱いやすくて楽しいです。
受験生時代にデッサンやってて飽きた時、
練りゴムでアホな物体作ったのを思い出します。
10本足のかわいいトカゲとかさ。

硬化後はアクリルで着彩ってのも、お手軽でよろしいね。
シンナーとかラッカーとか、そういうので塗るのは私には無理です。
来週は押し入れからアクリルガッシュや平筆を発掘せねば。

調理用のオーブンで加熱するとよろしくないみたいなので、
私はドライヤー作戦でいってみます。

初の作品「目耳唇ウサギちゃんの頭部習作」はアクリルが乾かなかったので
キムチ宅に放置。来週にでも回収予定。

私の造形力ではスカルピーを使った可動する物体は作れそうにもないので、
明大前活動の皆さんの許可が出れば、裁縫系でなにか作ってみたいなと思います。
それとも、粘土・樹脂系しかダメなんでしょーか?

明日は画材発掘もしますけど、ユザワヤにスカルピーを探しに行ってみます。
※しかし、なんで今日は“ですます”調?

2006年6月19日

さらにスカルピー

昨日いじったスカルピーはタニグチさんに少量わけてもらったやつだったので、
今日は早速ユザワヤにて自分用のスーパースカルピーを1パック購入。
ヘラ類はよくわからないのでとりあえず見送ったが、
彫塑初心者にとって指と竹串だけでは思ったような細工ができず、
早めにそれらの道具もゲットしたいところ。

ネットで作例を検索したり、某SNSの粘土コミュなどを参考にしつつ、
竹串と指でひたすらに粘土こねこね。
楽しい! 楽しいよ! 仕事を忘れてしまいそうになるほどに!

昨日のエントリで予告したように、“焼き”はヘアドライヤーで行う。
少し時間がかかる印象だったが、
ドライヤーの吹き出し口を狭めるアタッチメントを使えば、
熱風を圧縮(?)できて速度向上につながるのではないだろうか。
アタッチメントは家の中で行方不明。発掘しないと……。

「大神」のアマテラスの胸像を作り中。
やる気向上と作業効率を考えて、モチーフは自分の好きなモノにした。
オリジナルの何かでもいいんだけど、それではデザインで時間がかかりすぎるため。
また、既存のモチーフの方がごまかしができなくて良い。

当たり前といえば当たり前なのだが、
彫塑で生物を作ると、骨格や筋肉についての理解が深まることに気付く。
アマテラスを作ってると、狼か犬の骨格図や筋肉図が欲しくなりました。
これが画力向上につながればと秘かに下心。

2006年6月20日

ヤン・シュヴァンクマイエルの義眼と入れ歯

明大前活動のヒントになるかと、ヤン・シュヴァンクマイエルのDVDをいくつか引っ張りだす。
シュヴァンクマイエルは現役のチェコを代表するシュールレアリスム映像作家。
独特の暗さとエグさとユーモアが魅力。
学生時代に「映像メディア論」の講義で知って以来、ずっとファンだ(伊奈教授に感謝)。

シュヴァンクマイエルの映像で使われる粘土はいわゆるクレイ・アニメーションとは異なり、
油粘土のような灰褐色のベタベタする質感のものだ。
リアルに造形されたそれらにガラスの目玉や入れ歯や生の舌(牛のタン?)が加わり、
粘土でできていることを忘れそうなほどにリアルさを感じさせる。
これらの義眼や入れ歯はシュヴァンクマイエルのお得意で、
粘土以外のあらゆるモノに装着され、それぞれがコミカルでリアルな生き物になってしまう。

そんな例をひとつ。
不思議の国のアリスをモチーフにした「アリス」という長編映画では、
靴下でできた“芋虫”が登場する。マッシュルームの上で水タバコをふかしているあいつである。
シュヴァンクマイエルは、そいつを靴下で表現した。
ほころびがあるくせに、中に詰め物をされたそいつらは、
木の床に容赦なくたくさんの穴を開け、そこを出たり入ったり、まるで生き物のよう。
部屋の中には机があり、アリスはその引き出しを開ける。
中には瓶に入った義眼と入れ歯。
突然、脇から靴下が現れ、自分のほころびから義眼と入れ歯を飲み込む。
義眼は両脇のほころびに、入れ歯は爪先のほころびにはまり、
カチカチと歯を噛み合わせて、生き物としてのリアルさを増す。

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うーむ、かわいい。なんてかわいいんだ。
思わずそのまま真似したいほどにかわいい。
とはいえ、それではパクリなので、自分でもこれに匹敵する何かを創造せねばならない。

粘土の話しが、義眼と入れ歯に逸れてしまったけれど、
ヤン先生みたいなイカしたヤツを作れるように、
まずはスカルピーとお友達になることから始めることにする。
お脳を柔軟にして、がんばりたいと思います。


ヤン・シュヴァンクマイエル アリス
コロムビアミュージックエンタテインメント (2005/02/23)

2006年6月21日

引き続きスカルピー、ヘラ購入

近所の模型屋に行って3本セットのヘラを購入。
100円ショップでワイヤーも購入。
歩いて行ける場所でこういうモノが買えるのは便利。

さて、いろんな造形(主にフィギュア原型)サイトを見ていて、
ついつい人間の頭部も作ってみたくなったので、
アマテラスと平行してこねてみる。

前々回のエントリでも書いたが、
立体で作ることで、自分の中での骨格や肉の付き方の誤解を発見できる。
さらに人間の顔の美醜はなんと微妙なバランスでできているのかとか、
若い顔、老けた顔の些細な違いとか、そういうのも感じた。

人間の絵を描く人は一度はやっておくと勉強になること確実。
うーむ、もっと早くこういうのに気付きたかったな。
大学で美術解剖学の講義があったのに、履修しなかったことが悔やまれる。
今からでも遅くないぜとがんばります。

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2006年6月22日

山崎曜 「手で作る本」出版記念 『手で作る可能性』展

渋谷で打ち合わせを一件こなした後、新宿経由で御茶ノ水まで。
山崎曜さんの手製本の個展を見に行く。

美篶堂(みすずどう)は初めての場所で、
製本にまつわる小さなギャラリー、ショップ、工房の複合スペースだ。
神田川沿いの緑に囲まれ、こじんまりとした佇まいは居心地がいい。

展覧会の内容は以前にも紹介した山崎さんの本に登場した本の実物の展示(ややこしい文章だね)。

手で作る本
山崎 曜
文化出版局 (2006/03)

写真パネルを使った作業風景や、道具の紹介など。
写真で見るだけでも美しくてうっとりした本たちだが、
実物を見て、触るとこれまた写真ではわからなかったディティールが伝わってくる。
そう、会場では手袋の貸し出しをしており、実際に本たちを手に取って触ることができるのだ。

山崎さんご本人もいらしてて、少しだけお話しさせてもらう。
お名前から性別がわからなかったのだが、山崎さんはおだやかな笑顔がすてきな男性だった。

著書の中に中世の彩飾写本を表紙に張って作られた本があり、
そういった一点ものの材料を使って製本を行うときは緊張しますかとの問いには、
「緊張しますけど、それが楽しいです」と笑顔でのお答え。

聞けば、古くから一点もの製本の文化があるヨーロッパあたりでは、
それこそ一冊の本を作るのに家一軒ぐらいのお金をかけることもあるらしい。
想像もつかないけれど、歴史的に貴重な革とか羊皮紙を使うのだろうか?
そんな高級素材(?)を使って製本したものに、
直接金箔でタイトルやらを貼っていくので、ものすごい緊張だと思われる。

また、山崎さん考案の便利な製本道具(万力、幅定規、角切り定規)についても話しが及び、
そういった道具を考えて自作するので、男性っぽいと言われてしまうそうだ。
幅定規は山崎さんの考案かどうかは知らないけれど、
実際に使ってみるとすごく便利なアイデアだと実感する。
私もハンズかユザワヤで12mmや10mmの角棒を買うことにします。
あ、そういえば糸綴じ台の説明を聞くのを忘れてた!

いずれにせよ、製本や本というモノそのものに興味のある人には
面白い展示なのではと思われる。
会期は今週の日曜までなので、行きたい方はお早めに。


美篶堂(みすずどう)
http://www.misuzudo-b.com/

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2006年6月25日

明大前活動

今週も明大前活動。MLも無事に稼動しており、よろしい感じ。

早めに到着したのでキムチと英語のidiomについて語ってみたり。
idiomの知識が豊富だと相手の言ってることがわかると
私の英語の先生も、キムチの英語の先生も言っている。
そうなんだよね、自分の言いたいことは言えても
相手の言うことがわからないから、やっぱり語彙は増やした方がいい。

他のメンバーもぼちぼち集まりだしたので、作業開始。
今日はアドリブでスカルピーこねてみました。クックロビンに使えるといいんだけど。
造形の匠・ワタナベさんにおすすめのヘラを教えてもらって嬉しい。

夜はSteveのライブがあったので途中で明大前をおいとまするも、
体調不良によりライブは断念。

↓先週作った「目耳唇ウサギちゃんの頭部習作」と今日作った「ワームちゃん」。

060627sculpy.jpg

2006年7月 2日

明大前活動。アクリルガッシュ発掘。

毎週恒例の明大前活動。
今日は自炊してみました。グリーンカレー美味也。
大人数の自炊はコストパフォーマンスが良くて嬉しい。

スカルピーの「ワームちゃん」は、頭部が割れてしまったので作り直し。
持参した凧糸でぐりぐりとボディ部分と接合。動きが新鮮でよろしい感じ。
もっと胴体長い方が面白いよということで、倍の長さにすることに。
次の課題はクックロビンだが、うまくいくのか不安。
スカルピー同様、いろいろ先達に教えてもらわねば。

実験の結果、凧糸はヒートガンにも耐えられることが判明し、
皆さんから「新マテリアル導入!」と喜んでもらえた。
この調子でいろいろと素材を追究していきたいものだ。

そうそう。その前に「ワームちゃん」をステキに着色せねばなるまい。
押し入れからアクリルガッシュやを発掘したが、
どうもペーパーパレットや筆類は処分済だった模様。
また、ユザワヤに探しに行くとしよう。

同じくガッシュに混ぜるリターダーやグロスワニスも発掘したが、
使えるのかどうかは微妙。
だって、学生時代すなわち10年ぐらい前に買ったやつなんですもの。
透明水彩にいたっては受験生時代なので、15年ぐらい前のシロモノ。
うーん、すっかりアナログ画材から遠ざかっていたんだなあ。

ちなみに、私はアクリル絵の具ではなくアクリルガッシュが好きだ。
マットに仕上がるの感じが良い。
受験生時代にポスターカラーを使い倒してたせいもあるので、
似たようなテクスチャが好きなのだ。
とはいえ、ひさしく触っていないので、
あの頃のようにうまく使えるのかは激しく疑問。リハビリが必要そうだ。

そろそろwebも作り始めなければ。

2006年7月16日

明大前活動

先週はお休みしたので、二週間ぶりの明大前。

webのラフは、まずまず好評でいい感じ。

前回の「ワームちゃん」のボディを増殖させる。
うーん。ウチにもヒートガン欲しくなるなあ。

着色は帰宅後ということで、今日は針金で遊んでみる。
できあがったのは、「羽根犬ちゃん」。
クックロビンできるかどうか微妙だが、あまり気にしない。

“アーマチュア”という言葉を学ぶ。奥が深いぜ。

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2006年8月 5日

Adobe IDEAS 2006

行って参りました、灼熱の新木場。
暑さ対策でキャミソール着ていきましたが、正解でした。

以下、感想箇条書き。長くてバイアスかかってるよ。

【基調講演】
・Fireworksの存命を知って嬉しかった。
・Apolloのデモは画面だけでも日本語版を用意すべきだったと思う。
・同様に、同時通訳するには無理のあるスピードなので、あらかじめ日本語ナレーションを作っておくべき。ああいうデモのナレーションは、文字通り間髪入れない状態に編集されているのだし。
・GoliveとFreehandも生き延びるのは意外だった。
・キャラクターが歩くムービーのデモは優秀なアニメーターのおかげで5割増しでよく見えていた。誰もがあんなにいい動きのアニメを作れるわけではないので、ちょっとやりすぎ感があったかな。ま、デモってそんなものさ。

【セッション1】Video meets FLASH
・「功名が辻」のOPは前々から気になっていたので大画面且つノンクレジットで見られてよかった。
・しかし、デザイン畑の人間としては、もっとメイキング的な部分を見たかった。使われた日本画はどこかから引用したのか、新たに描き起こしたのかとか。
・トヨタ車のCMはさほど興味を惹かれなかったが、ASでキービジュアルを自動生成させるのは面白かった。
・IKEAの事例は実用的なカタログがあった前提で作るなら面白いけど、そうでなければ不便かな。
・事務所紹介のFLASH事例は実写の動画の使い方が面白かった。

【セッション2】Design meets FLASH
その1
・雑誌「eat」は買ったことがあったのに、デモが始まるまで気がつかなかった。
・イギリス英語は聞きやすい。そして、皮肉がたっぷりでよろしい(ex."僕たちの日本語はラビッシュだから通訳に来てもらいました","僕たちの制作環境は99%アドビに支配されている、残りの1%はBBEditだ")。
pdfマガジンはいかがなものかと思ったが、あの人たちが楽しそうだからOK。金にならないことに愛情込めるのは大事。
・実際、今日見た中で一番デザインのクオリティが高いのはこの人たちのpdfマガジンだった。
・スペシャルイベントか打ち上げで、eatスタッフと話しをしたかったが遭遇できず残念。

その2
・私の携帯電話がFLASH未対応で参加できず残念!
・こういう聴衆参加型の企画は楽しいね。
・インタラクティブでわかりやすいデモ(色覚認識、音量認識)はわくわくする。
・しかし、画面上のエリア分けが色でしかなされていないので、ユーザビリティ(アクセシビリティ?)に欠けてよろしくない。選択肢にAとかBとかつけてるんだから、画面上のエリアにも合番をふるべし。
・そう考えると、アックゼロヨンはやはり重要なイベントだと思う。
・参加者全員の顔写真掲載について、文字通りの全員参加型で非常にいい感じ。加工やトリミングもプライバシーに配慮してのことだと思われるのでいい感じ。

【DJブース】TAKAGISM on DJ style←勝手に命名
・このために行ったと言っても過言ではない本日のメインイベント
・ムービーのBGMは「White Chamber」がベース。アレンジバージョンのMP3も欲しいものだ。いい音響で聞けて嬉しい。
・高木敏光さんのセッションを聞くたびに「ものつくり」心が刺激される。
・金になったトム君ゲームの上手とは言えない作画がとてもかわいらしい。
・金にならない「踊る男」のトレースムービーは2000フレーム以上あって感動。
・だから、金にならない制作を一生懸命やるのはすばらしいことなんだって。
・もうちょっと周囲の照明が暗かったら、プロジェクターも見やすかったのにね。
・某ササイコミュが紹介されて照れくさい。

【スペシャルイベント】
・アドビール、ヌルし。もっと冷やしてください。
・関係者控席はさながらVIP席のようで恐ろしい雰囲気。とはいえ芸能人やモデルではなく、あくまでwebセレブ(アホな言い方だよな)がいらっしゃるだけなのでとって食われることはありません。

・テイトウワ、遠くて見えません。なんで真ん中の舞台でやってくれないのさ。
・テイ君が回した曲は踊れるのがあったり、踊りにくかったり。Sketch Showのアレンジ曲がかかってて嬉しかったが、すぐに終わった。
・もちろんアドビのイベントに来るのは2割ぐらいが秋葉系なので、全然盛り上がりません。
・私はヘタクソなりにちょっと踊ってました。だって、ああいう場所だと体が勝手に動くでしょう?
・結局、テイ君は気を悪くしたんじゃないでしょうか。彼自身はAdobeユーザーっぽいけどね。
・関係ないけど、テイ君といえば大昔に「ロッコミ」で“テイ・トウキョウヘイワ”と呼ばれていたのを思い出す。生い立ち漫画を描いたのは桜沢エリカだったっけ?

Cell/66bというユニットによるダンスパフォーマンスはかなり良かった。
・アングラかつスタイリッシュで、金粉男や顔面サーチライト男など、大変にすばらしかった。
自己の肉体がかっこいいのが一番かっこいいのではないか?という嫉妬が再燃。かっこいいなぁ。
・某ラクダのみなさんも、こういうかっこいいのやればいいのにと思う。

【おまけ】
・おみやげにUSBメモリをもらう。持ってなかったので嬉しい。
・縁縁での二次会に誘ってもらい、大喜びで参加。
・とある誤解が解けて、思わず涙ぐんでしまうほど嬉しかった。私の勝手な誤解だったのだ。

【総括】
だから、人の作品見てるばっかりじゃなくて、自分も作らなきゃね。

2006年9月16日

『チェコのマッチラベル』

前々から欲しくてようやく入手できた一冊。
1950〜60年代の社会主義国家時代のチェコスロバキア共和国のマッチラベルを集めた本。
こういう本を出すのはもちろんPIE BOOKS。大好きな出版社だ。

当時のチェコではプロパガンダの一環としてマッチのラベルが使われており、社会主義国らしいスローガンやら国の宣伝やらが、さながら記念切手のように色とりどりにデザインされている。

チェコは古くから人形の国でもあり、現在でも「チェコアニメ」というジャンルが確立されているぐらいに愛らしいキャラクターを作らせると絶品なのだが、そこにロシア構成主義に代表される幾何学的な抽象性も加わり、とても美しいデザインができあがっている(“samolost”のJakub氏もチェコ出身だ)。

当時はプロセスカラーによるフルカラー印刷が高価だったのか、ほとんどのラベルが3〜5色の特色刷りで、網点も無いベタの色面によってデザインされている。この配色センスがよろしくて、ヨーロッパ的な原色と中間色の使い方は、今見てもまったく遜色が無い。

プロセス4色が全盛の現代では特色印刷の方がコストがかかるせいもあり、多色刷りの見本としても貴重な一冊。もちろん、資料的な価値だけではなく、単純に眺めているだけでも楽しい。

このすてきな本を、いかに次の仕事に活かしてやろうかと目論んでいる。

チェコのマッチラベル チェコで見つけた、あたたかなともしび
南陀楼綾繁
ピエ・ブックス (2005/07/10)
売り上げランキング: 4,805

2006年10月 8日

FLASH人生

結局、深夜3時にチャット大会を終え、
そのまま少し仮眠しつつも、結局一日中FLASH人生。

携帯電話用FLASHのグラフィックを担当しているのだが、
これまた容量制限との戦いである。

ひたすらに最適化やら「シンボル化&使い回し」に骨身を削る。
アウトライン表示にして不要なアンカーポイントを消しまくる。
1KB、2KB、ファイルサイズが減って行く悦びよ。

そういえばwebデザインを始めた頃も、そんなことにヨロコビを見いだしていた。
GIFファイルでいかに減色させつつ、画質を維持するか。
JPEGにするのは簡単だがエッジが醜くなるしね。

以前、GIFアニメよりも軽いshockwave作りを実践していた人がいらしたが、
きっと同じような快感があったのではないかと推測する(僭越ながら、ね)。

ブロードバンドが普及し、ネット上のデータにもいろんな意味でゴミが増えた。
環境にやさしく、回線にやさしく、でもクオリティは他の追随を許さない、
そんなコンテンツを作れるようになりたい。

2007年1月 6日