
(2006年 アメリカ) 監督:ジョージ・ヒッケンルーパー
公式サイト:http://www.factorygirl.jp/
劇場公開前から鑑賞券をもらっていたというのに、結局公開終了ぎりぎりの鑑賞になってしまった。
実在したモデルで女優のイーディ・セジウィックの半生で、彼女がアンディ・ウォーホルと出会って「ガールズ・オブ・ジ・イヤー」となってから転落していくまでのお話しである。
富豪の娘のイーディは、頭は良くなかったが華やかさと美貌、そして血統を持っていた。彼女は「美術を学ぶため」とNYに行き、ポップアートの旗手ウォーホルと出会う。すぐさま彼女に魅了されてしまったウォーホルは、イーディを"ファクトリー"に招待する。
ウォーホルが主催していた"ファクトリー"は、文字通りシルクスクリーンによるウォーホル作品を生産する"工場"であり、ウォーホルが目をつけたあらゆる人間が出入りする"サロン"でもあった。
血統と美貌を兼ね備えたイーディは、すぐにウォーホルのお気に入りとなってファクトリーの女王となる。ウォーホルの映画に何本も出演し、ヴォーグをはじめとするファッション誌を飾り、NYの最先端の顔となっていくのだ。パーティーと放蕩、アルコールとドラッグとセックスの日々。数々の著名人やアーティストやミュージシャンとの出会い。それらはとても華やかだった。"セレブリティ"とはこういう人たちに使うべき言葉だろう。
しかし、イーディがボブ・ディランと交際するようになってから、そんな豪奢な生活にも翳りが見えてくる。ハンサムでスーパースターであるディランに嫉妬したウォーホルは、あからさまにイーディを邪見に扱いはじめる。
劇中の「芸術家は醜いから、美を好む」という台詞にも象徴されるように、ウォーホルは自分の外見に劣等感を持っていたことが強調されている。銀色のウィッグや整形手術にもそれは示唆されている。ウォーホルはアートの世界では確かにアイドルだけれど、ゲイであることも含めてとても孤独だったようだ。自分が求める自分自身と現実の自分自身との乖離、美的な存在への憧れ、それらをイーディやニコや歴代の"女神"たちを所有することによって満たしていたのかもしれない。
ハンサムで歌って曲が作れて、ファンの嬌声に包まれている「かっこいい存在」のディランは、もしかするとウォーホルがなりたかった「存在」のひとつかもしれない。そんな人物に惹かれていく女神・イーディに対して、裏切られたように感じるのは自然な流れである。結果、ウォーホルはあっさりとイーディを捨てる。
ミュージシャンに女神を奪われたウォーホルが次に手がけたのは、新しい女神ニコとベルベット・アンダーグラウンドのプロデュースだったのは皮肉だ。
イーディはといえばディランの愛情と助言も空しく、ウォーホルへの敬愛とドラッグを捨てられない。結局、ディランからも愛想をつかされ、薬と浪費で現実逃避する道だけが残された。あとは坂道を転がるように、どんどん醜く墜ちていくしかない。
映画は、矯正施設に入院中の落ち着いた様子のイーディのインタビューで終わる。恐らくは死ぬ直前の様子なのだろう。イーディは矯正施設や精神病院の入退院を繰り返した後、睡眠薬の過剰摂取で死ぬ。ウォーホルと別離したわずか5年後、28歳だった。
施設でのインタビューの穏やかな様子と、エンドロールで流れる実在のイーディのかわいくて魅力的な写真が対比されて物悲しい。ポップアートと同じく、"ファクトリー"で量産された女の子という意味があるんだろうなぁ。
アート、名声、ビジネス、存在の魅力などについて、いろいろと考えさせられた映画だった。
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↓ウォーホルとイーディについては、こちらのサイトが詳しい。
http://www.edieandy.com/
