なんだかんだと余裕をカマしていたら、結局徹夜になってしまった。ダラダラと旅の支度をする。MacBookに現在進行中の案件のデータをコピーしたり、すべてのPCメールが携帯に転送されるように設定したり。本当に、このMacBookのおかげで気楽に旅行にいけるようになった。
11時、羽田空港に到着。母親と合流してチェックイン。空港で買ったお弁当を食べながら、搭乗ロビーで母子の会話をしてみる。
なんだか母の荷物が軽装だなと思いきや、どうやらパリでトランジットの際にスーツケースが行方不明になったらしい。いわゆるlost luggageというやつである。見つかり次第、北海道に送ってもらう予定だが着替えなどが無くて困りそうだ。
「いいわよ、死んだ母ちゃんの服や下着を借りればいいのよ」
まあね、私もロンドンで母の靴下借りたりしてるしね。
飛行機が離陸、そして千歳に着陸。いつもの札幌出張なら快速エアポートで札幌市内に出るのだが、今回の行き先は銀山。函館本線で小樽から6駅先にある(ところで、北海道人には一般的に“銀山”と言って通じるものだろうか? “余市”では通じるみたいだけど、“仁木”や“銀山”だと『それどこ?』と言われそうだ)。
小樽まではスムーズに行けるのだが、その先は1時間に1本しか汽車が出ていない。つい口癖で「電車」と言ってしまうが、すかさず母に「汽車」と訂正されてしまう。結局、小樽で1時間ちょっと時間を潰すことになった。駅前の団子屋で団子を食べたり、母が書店で本を大量に買い込んだり。
小樽からの“汽車”はワンマンカーなので、アナウンスは録音されたものだった。通常のアナウンスに加えて英語のアナウンスが流れるのが不思議な感じ。どうやらニセコ周辺がオーストラリア人に人気らしく、その関係で英語アナウンスもあるらしい。
銀山駅には夕方に到着。丘の上に建っている小さな無人駅、ホームは当然野ざらしで駅舎も小さい。母と二人で駅を降りて、坂道を下る。
目の前には山に囲まれた丘陵地帯が広がり、野の花が色とりどりに咲き乱れている。クローバーの群生を見るのなんて、何年ぶりだろうか。
駅を出て数分もしないうちに、喪服を着た人に声をかけられる。幼い頃から母を知っている村人だ。
「遠いところをよく帰ってきたね、突然でびっくりしたでしょう」
「これ、娘なのよ」
「あらまぁ! なんてあなたの若い頃にそっくり」
銀山に滞在している間、私はずっとあらゆる人に母と間違われることになる。母の美醜はさておき、さすがに20歳以上離れた母娘に対して「姉妹かと思ったよ!」というのはお世辞が過ぎていると思うけどね。
何人かの村人に遭遇しながら、数分で母の実家に到着した。私がここに来るのは20年ぶりか、25年ぶりか。荷物をほどくのももどかしく、喪服に着替えて神殿(と呼ばれる場所)へ向かった。
母の実家は仏教ではないので、いわゆる神式(のような形式)で葬儀の一切が執り行われる。今日おこなわれるのは通夜ではなく「みたまうつし」。束帯を着た祭主と衣冠の祭員たちが雅楽の奏楽と共に神殿に入場し祭詞を読み上げ、列席者は玉串を捧げる。なんだかんだと1時間程で終了。祖父の人柄もあってか参列者は200人以上に及び、神殿には入りきらず、急遽別室にTVモニターを設置して中継するほどであった。
私はといえば。正座でしびれる脚をよそに、神殿(と呼ばれる場所)の造作や、祭主・祭員の装束など、平安時代の様式と同じだなとおぼろげに考えていた。御簾で仕切られた祭壇と神殿は母屋と庇の関係だし、そこから障子で仕切られた外周の廊下は簀子のようなものだ。身近な場所にそういうものがあったとは、灯台下暗し。今後、源氏物語を読み進めるにあたって、イメージ作りに役立つ事だろう。
儀式が終った後、仏式なら徹夜で線香を点しつつ文字通り「通夜」となるのだが、神式では特にそういったことはない。しかし、「通夜ぶるまい」が行われるのは同様。喪家の孫娘として、祭主・祭員の皆さんにお酌をしに行かされたのは、いかにも日本的・田舎的だと思った。まあ、孫一同が行かないと祖父が相手する羽目になるので、それはそれで祖父孝行なんだけどね。
なんだかんだと終ったのが23時頃。メールチェックをしたかったが、銀山の山々に阻まれて携帯は見事に圏外になっていた。母の実家と隣接した母の従弟の家でLANを借りようかと思ったが、残念ながら従弟宅はダイヤルアップ接続のみ。電話回線はあるので、モデム内蔵のPCを持って来ていたらネットに繋げられるのだが、MacBookにはそんなものは付いていない。これは諦めるしかないと1時頃に就寝。