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恩師の退任 その3

小学校から高校まで、私は自分の所属していた教室やホームルームにさほど愛着を持ったことは無かった。しかし、《Aクラス》は大好きな場所だった。ゼミ仲間の数人とは今でも年に数回は必ず我が家で鍋を囲んでいるし、活躍しているゼミ仲間の話題を聞くたびに嬉しく思う(そして、少しだけ羨ましくて嫉妬する)。タカ先生とツボ先生は大好きだし、それがそのまま母校である大学への愛校心にもつながっている。

自分の母校を愛せることは幸せだ。私の愛する《Aクラス》にいた学生の全員が、先生たちやゼミへの関心・愛情を持っていたわけではない。私ですら《Aクラス》のすべてを肯定して愛せるかというと、そうではない部分もある。でも、それ以前以降の人生と比べて鑑みるに、やはりあの場所とあの面子とあの時間は大好きだったとしか表現できない(それは所属していた演劇部にも言えることだ)。そして、そうやって自分の人生の4年間、しかも20歳前後の重要な時期を過ごした場所を懐かしく愛しく思い出せることは貴重なことだと思える。

さて、そんな大好きな場所だった《Aクラス》だが、この春をもっていよいよ無くなることが決定したようだ。二人いらしたゼミの教授、タカ先生とツボ先生。少し年長のタカ先生がいよいよ退任されることになったのだ。

そのニュースを聞いたのは去年の冬。我が母校でなぜか評議員をやっている実父からだった。それまではなんとなく、《Aクラス》は永遠に存在しているような気がしていたがそんな筈もなく。

そして今日、一通の白い封筒が届いた。きれいにデザインされたその封筒は、タカ先生の退任に合わせて行われる大同窓会への招待状だった。“大同窓会”というネーミングはとても《Aクラス》らしく、私は懐かしさににんまりしつつ、その招待状の文面から《Aクラス》は25年間開講されていたことを知る。25年間も、そして25年間しか、とその時間について感慨を覚えた。

会場は東京・神宮前のレストラン。我が母校は京都の山奥にあるのだが、なぜ東京で“大同窓会”なのか。それすらも《A教室》らしい理由がある。ゼミ生の就職について、先生達は常々「デザインをやりたければ東京に行け」と発破をかけていた。ゼミの方針として、積極的に学生を東京に送り出していた。

「京都で始めたら最初の“そと”は大阪、次は東京やろ。
 でも東京で始めたら最初の“そと”は世界やで」
「京都でデザイン言うたら笑われるで」
「京都には歳取ってから帰っておいで」

そんなん、先生そこまで京都を卑下せんでもええやんか、と奈良出身の私は憤慨したものだ。だがしかし、東京に来てみると悲しいかな、世の中は東京中心に回っていたのだ。特にデザインやメディアはその傾向が著しく、先生がおっしゃったことを嫌と言うほど実感することになる(その論でいけば、最初から東京の大学に行けということになるがそこはあえて無視)。

とはいえ、なかなか京都の山奥から東京で就職するのは、関西至上主義の関西人たちにとっても変なプライドが邪魔したりして難しく、私の学年でも半分ぐらいしか東京には行かなかった。もちろんそれには家庭の事情だったり、伝統工芸を生業とすることだったり、デザインを仕事にしなかったりと、各々に理由があったわけだから、東京に行かなかった学生を否定するわけではない。

それでも。それでもゼミの半分は東京に行ったのだ。それはすごいことだと思う。そして、私もその一人だった。自分でも大学入学前は一生関西に住み続けると思い込んでいたにもかかわらず、同級生だった当時の恋人に「卒業したら一緒に東京に行こう」と誘われて拒んでいたにもかかわらず。私個人のケースで言えば、東京に来たことは大正解だった。今の仕事はここでしかできないだろうし、この仕事はとても自分に合っていると思うから。
※余談だが、《Aクラス》で最初にwebデザインをやり始めたのは私と同級生のイダ君の二人だ。時は忘れもしない1995年の冬。少しだけ、これは自慢。

少し話しが逸れてしまったが、来月そんな大同窓会が行われる。とても、とても楽しみだ。

《Aクラス》のお歴々はどれぐらい集まるのだろうか。タカ先生にお会いするのは何年ぶりだろうか。タカ先生は私のことを覚えてらっしゃるだろうか。ゼミの友達には何人再会できるのだろうか。

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2006年2月21日 23:22に投稿されたエントリーのページです。

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