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ビアズリーと私(1)

オーブリー・ビアズリー(Aubrey Beardsley)は19世紀末のイギリス人の挿絵画家です。
当時から異端と賞賛の両極端な評価を受け、『サロメ』『アーサー王伝説』『イエローブック』などの素晴らしい作品を残しながらも25歳の若さで早逝した天才です。

私の絵描き人生の中で、ビアズリーの存在はかなり重要な位置を占めており、少しいろいろと書いてみようと思います。

ビアズリーとの最初の出会いは、実はあまりよく覚えておりません。

確実に言えることは、83年に大阪で開催されたビアズリー展の図録が我が家にあったことと、母がその図録からビアズリーの肖像写真をコピーして自分のアトリエに飾っていたことでした。おぼろげにある当時の記憶によると、そのビアズリー展図録は「多毛留(作・米倉斉加年)」と並んで“なんだか怖いけど気になる絵の本”で、10歳の私は恐る恐る眺めては本を閉じたり開いたりを繰り返していました。

そして記憶は飛んで突然高校時代。なぜかすっかりビアズリーの存在を忘れていた私は美大受験生として毎週美術系予備校に通う日々を送っていました。ビアズリーとの再会はその予備校で起こります。予備校では課外授業として何度か、参考になる古今東西のいろいろな絵をスライドで見せてくれる上映会が行われました。浮世絵、水墨画から東西の油彩、少女漫画に至るまで色々な絵とその見どころを説明してくれた中の一枚、それがビアズリーの「クライマックス」でした。

絶妙な白と黒のバランス。明らかに日本の浮世絵から影響を受けた、輪郭線による描画。しばし悪魔的と呼ばれる怪しげかつ魅惑的なビアズリーの絵。アール・ヌーボーと漫画とアングラが好きだった私には、ビアズリーのすべての要素が自分の好みと合致していたことに気付きました。

記憶は一気にフラッシュバックし、予備校から帰宅した夜に本棚からくだんの図録をひっぱりだしました。母が家を出ていってから3年以上放置されていたその図録。はたしてそこには溜め息の出るような魅力的な絵が。宝の持ち腐れとはこのことで、その時以降、色々と制作に行き詰まったり悩んだりした時にはビアズリーの画集を見るクセがつきました。

文化祭のパンフレットの表紙、趣味の漫画、大学の演劇部のポスター。ビアズリーの影響を色濃く受けて、色々な絵を描きました。大学卒業後に就職した最初の会社で、デザインをやりたかった筈なのにデザインとは直接関りの無い仕事をせざるをえなかった頃も、深夜残業の合間に机に忍ばせていた図録を取り出しては花のモチーフを模写したりもしました。

若くして死んだ天才ビアズリー。
既に彼の年齢を追い越して久しいけれど、当然ながらまだまだ追いつけません。

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2005年1月25日 07:17に投稿されたエントリーのページです。

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