精神科医ハンフリー・オズモンドによって作られた言葉。
「サイコロジー」+「デリシャス」の意で、LSDによる幻覚を指すとサイケデリック体験ゾーンの壁には書かれていた。
※一説によると、ギリシャ語のサイケという言葉と、デ・ロスという言葉を組み合わせているという説もあるが、私にはどちらが正しいのかはわからない。
先日日本橋のDIC COLOR SQUARE(大日本インキが運営するギャラリー)に行き、「ザ・ビートルズ その時代と色彩」展を見てきた。
ビートルズが黄色い潜水艦で極彩色の世界を泳ぎ、空に輝くルーシーちゃんの歌を歌ったのは1968年。それからほどなく日本では“はっぴいえんど”が「はいからびゅーちふる」と歌い、TVでは「モーレツからビューティフルへ」とCMがつぶやいた。それから一呼吸おいて私が生まれた1974年、すでにその頃にはサイケは息も絶え絶えで去り行く文化だったのだろう。
前述の展覧会では「モノクロから極彩色へのトランスファー 世界と日本の1961 - 1970」とサブタイトルを銘打って、ビートルズをキーワードとしてサイケについての展示が行われていた。
会場内の「サイケデリック体験ゾーン」の壁に貼られたカルチャー分布図のようなグラフを見て、サイケはアール・ヌーボーにも通じていたことを知った。18〜20歳の頃、私はアール・ヌーボーに大ハマりし、そこから逆輸入というかたちでジャポニズムにまで傾倒していった。恥ずかしながら、それ以前の私には日本の伝統的な美術・デザインの良さがわからなかったのだ。
60年代に生まれてなかったんだし、70年代前半の終わりにやっと奈良の片田舎に出現できた私は、サイケデリックというものを同時代で体験できなかった。しかし、私の母という人はサイケもビートルズも謳歌した人で、遺伝子レベルでその趣味嗜好は私に受け継がれている(ちなみに顔もよく似ている)。事実、母がくれた数々の画集は今でも私の宝物となっている。
さて、そんなわけで。今まで「ラリったカルチャーでしょ」と思っていたサイケデリックだが、こうして対面してみると、なんとも魅力的なものであったことに気付く。アール・ヌーボーから続く有機的で美しいかたち、そこにプラスされる幻覚的なハレーションあふるる色彩。音楽と密接に結びつき、時代の先端のカウンターカルチャーであったサイケデリック。なんて溜め息が出るほどにステキなんでしょう。以前、グラムロックについて知った時もそう思ったけれど、サイケは私が思っているほど軽率なものではなく、キレイなものだったのだ。
帰宅して、ちょうど絵の仕事があったので、早速サイケデリックを取り込んでみようとした。そういえば、今までも絵を描く時に固有色を無視して描くのが好きだったっけ。これも内なるサイケの遺伝子なのか。
だがしかし、悲しいかな“サイケデリックな色彩”を自分で生み出すことに身体が拒否反応を起こすのだ。基本的に同系色、せいぜい補色対比程度しか色を操れなかった私には、なかなかにサイケデリックな画面を作るのは難しかった。もう少し、もう少しで自分の中の「マトモギブス」をはずせそうなのだけど。変なの大好きなのよ。変なの作りたいのよ。でも、変だけじゃいやなの。変でキレイなものが作りたいの。までできない、まだ内から色が出てこない。
来年の目標に「サイケデリックな色彩を身に付ける」という項目を追加しようと思った。
あ、だからといってドラッグに手を出す気は毛頭無いのでご注意を。人生で一度も煙草を吸ったことが無いのが自慢なのでね。